伝記
コリウン(コリウィン、コリュンとも表記される)は、5世紀のアルメニアの著述家・翻訳者である。アルメニア文字を創案したメスロプ・マシュトツの最年少の弟子であり、唯一知られる著作『マシュトツ伝』は、アルメニア語で書かれた最古の独創的な著作とされる。この書は、マシュトツによる文字の創案、その宣教活動、聖書やその他のキリスト教文献をアルメニア語に訳す努力について伝えており、コリウン自身もその翻訳に加わった。
生没年は正確にはわかっておらず、380年か390年ごろに生まれ、447年ごろに没したと推測されている。名は「獅子の子」(あるいは野獣の子)を意味する。アブラハム・テリアンは、この名が、ローマ支配下の西アルメニアではなく東アルメニアの生まれであることを示唆するとみる。一方、コリウンをイベリア(グルジア)系とみる学者も多く、これは、彼がマシュトツのもとで学ぶために連れてこられたグルジアの若者の一人で、のちにイベリアの王宮で司教になったと自ら述べているかのような一節に主に基づく。しかしマヌク・アベギャンは、この理解は写本の本文の破損による誤解だと論じ、テリアンも、冒頭の一文に表れ全編を通じて感じられる熱意から、コリウンがアルメニア人であることは疑いないと述べる。
406年、アルメニア文字の創案を受けて、聖書をアルメニア語で説く説教者を育てるため、ヴァガルシャパトに弟子たちが集められた。コリウンはその一人で、自ら最年少の弟子だったと書いている。弟子たちは教師として各地へ派遣された。429年には、同じ弟子のレウォンデスとともにコンスタンティノープルへ行き、ギリシア語を習得するためそこにいたコルブのエズニクらアルメニア人の一団に加わった。431年より後に帰国し、聖書のアルメニア語訳を改訂するためのギリシア語写本と、ニカイア公会議(325年)およびエフェソス公会議(431年)の規則を持ち帰った。聖書の諸書、教父文献、公会議の規則の翻訳に参加したことは知られるが、自分の貢献について具体的には書いていない。『マカバイ記』をアルメニア語に訳した人物ともされる。
マシュトツが440年に没したのち、コリウンは『マシュトツ伝』の執筆にかかった。作品は443年以降、451年より前に完成したはずで、テリアンは、没後3年の記念の機会にあたる443年に書かれたとみる。つまり、本来は朗読を意図した頌徳の文章だったことになる。この書は重要な歴史的情報を含むが、歴史書として書かれたものではなく、同時代の聴衆には周知だった重要な出来事を省いている。それでもアルメニアの文学活動の始まりとその中心人物たちについての主要な資料であり、後世のアルメニアの著者たちに大きな影響を与え、多く借用された。彼が執筆を勧められたのは、アルメニア教会の長カトリコスの代理ヨヴセプ・ホロツメツィらマシュトツの弟子たちからで、よほど評価された弟子だったとみられる。
『マシュトツ伝』は1833年以降たびたび出版され、ドイツ語、フランス語、英語、ロシア語、イタリア語、グルジア語に訳されている。17世紀にはヴォスカン・イェレヴァンツィが短い版をラテン語に訳したが、写本のままである。長い版は17世紀後半の単一の写本で伝わり、短い二つの版は14世紀半ばのもので、エレバンのマテナダランに所蔵される。最古の写本はパリの国立図書館にある12世紀のものである。このほかコリウンの作とされる著作はあるが、確かめることはできない。
同じ年に亡くなった人物
- パラディウス (450年没)
- フィロストルギオス (450年(推定))
- Petronius of Bologna (450年)
- アプトニオス (450年(推定))
- ペトルス・クリュソログス (450年)
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