伝記
カルロス2世は、1661年11月6日にマドリードで生まれ、1700年11月1日に没したスペイン国王(在位1665年〜1700年)で、スペインを治めたハプスブルク家の最後の君主である。フェリペ4世と王妃マリアナの息子で、フランス王ルイ14世の妃マリア・テレサは異母姉、神聖ローマ皇帝レオポルト1世の最初の皇后マルガリータ・テレサは同母姉にあたる。後世には「魔法にかけられた王」とも呼ばれた。
父王は最初の妃との間に男子バルタサール・カルロスをもうけたが、彼が1646年に亡くなったため、1649年に姪のマリアナと再婚して王朝の存続を図った。生まれた子のうち育ったのは、マルガリータ・テレサと末の男子カルロスだけであった。スペイン国民は男子の誕生を喜んだが、何重にも繰り返された近親婚のためか、彼は生涯にわたって病弱だった。先端巨大症とされ、「ハプスブルク家の顎」と呼ばれる下顎の突出が著しく、食べ物を十分に噛めないまま飲み込むことが多かった。くる病も併発して、5歳まで足底の装具が必要だったという。子供の頃には風疹、麻疹、水痘、天然痘などに罹ったが、養育係の努力で生き延びた。35歳までに髪がすべて抜け落ちたとも伝えられる。2019年にはマドリード大学が遺髪を遺伝子検査し、性染色体がXXYであることが判明したとされるが、別の研究者はX染色体の遺伝子異常である脆弱X症候群を挙げており、原因は今も議論されている。それでも教育はきちんと受け、6歳のときにサラマンカ大学の教授が家庭教師に任命され、12歳からは数学と音楽を学んだ。
1665年、父が没したとき、彼はわずか4歳(3歳と記す資料もある)で王位についた。母マリアナが長く摂政を務めたが、母が追放されると、庶出の異母兄オニャテ伯フアン・ホセ・デ・アウストリアが実権を握った。フアンが1679年に没すると母が宮廷に戻って再び摂政となり、ガスパール・デ・グスマンの権力が大きくなるにつれて、スペインの国力は次第に衰えた。ルイ14世が領土拡大を目論んで起こしたネーデルラント継承戦争、オランダ侵略戦争、大同盟戦争でスペインはフランスと戦い、アーヘンの和約、ナイメーヘンの和約、レイスウェイク条約を通じて南ネーデルラントの領地を失っていった。1680年にはスペインの異端審問で160人が裁かれ、21人が火刑にされた。
1679年にはオルレアン公フィリップ1世の娘マリア・ルイサと結婚したが、子供はできなかった。マリア・ルイサが1689年に27歳で死去すると、プファルツ選帝侯の娘マリア・アナを後添いに迎えたが、この結婚も成功ではなかった。精神障害の症状も悪化していった。後継者を迎える必要から、1698年に又甥のバイエルン公子ヨーゼフ・フェルディナントをアストゥリアス公に叙したが、翌年に夭折した。他の候補には、ルイ14世と異母姉マリア・テレサの孫であるアンジュー公フィリップと、ハプスブルク家のカール大公がいた。
1700年、カルロス2世はアンジュー公フィリップへの譲位を表明し、同年に世を去った。スペイン・ハプスブルク家は断絶し、王位継承をめぐってスペイン継承戦争が起こり、1714年に終結した。
同じ年に亡くなった人物
- サント=コロンブ (作曲家) (1700年)
- マルグリット・ブールジョワ (1700年没)
- アドリアン (1700年没)
- シルヴェストロ・ヴァリエル (1700年没)
- ヨハン・アブラハム・イーレ (1700年)
同じ地域に関係する人物
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- ホセ・マリア・サラガ (2012年没)
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- アルフレッド・ディ・ステファノ (2014年没)