HISTORICAL PERSON · 2021年没

ラリー・キング

アメリカの放送人。CNNの看板番組『ラリー・キング・ライブ』の司会で知られ、「トークの帝王」とも呼ばれた。テレビ・ラジオで活躍した。

生涯
2021年没
死亡地
アメリカ合衆国(カリフォルニア州 / シダーズ-サイナイ メディカルセンター)
出生地
アメリカ合衆国(ブルックリン区)
出典
世界地図
アメリカ合衆国(カリフォルニア州)

伝記

ラリー・キング(本名ローレンス・ハーヴェイ・ザイガー)は、1933年11月19日にニューヨーク州ブルックリンで生まれ、2021年1月23日に没したアメリカ合衆国の放送人である。CNNの看板番組『ラリー・キング・ライブ』の司会者として知られ、世界で最も有名な放送人の一人とされた。大きな縁の眼鏡、いかり肩、まくり上げた袖、サスペンダーがトレードマークで、「トークの帝王」「マイクの名匠」とも呼ばれた。

両親は正統派ユダヤ教徒で、現在のベラルーシにあたる地域から1920年代に移民してきた。母ジェニーは縫製工、父アーロンは飲食店主や軍需工場の労働者だった。9歳のとき父が心臓発作で亡くなり、一家は公的援助を受けるようになった。父の死に深く傷ついたキングは勉強への関心を失ったという。ラファイエット高校を出ると、母を助けるために働きながら、幼い頃からの望みだったラジオの仕事を目指した。CBSの制作担当者の勧めでフロリダ州へ向かい、マイアミ・ビーチの小さなラジオ局に、雑用係として雇われた。アナウンサーが突然辞めたため放送に出ることになり、1957年5月1日に初めてディスクジョッキーを務めた。

局の支配人から、本名は綴りを間違えやすく響きも民族色が強すぎて覚えにくいと言われ、放送開始のわずか5分前まで名前が決まらなかった。そこで目に入ったのが、マイアミ・ヘラルド紙に挟まれていた酒店「キングズ・ホールセール・リカー」のチラシで、これをきっかけにラリー・キングと名乗ることにした。続いて、ニュース専門のラジオ局でマイアミ・ビーチのレストランを舞台にしたインタビュー番組を始めた。番組開始から2日後に来店した人気歌手ボビー・ダーリンが、初のセレブリティへのインタビュー相手となった。この番組は評判を呼び、1960年にはテレビ局で討論番組『マイアミ・アンダーカバー』の司会を務めた。

ところが1971年12月20日、金融取引にからむ不祥事で逮捕され、放送の仕事を失った。その後約3年間は放送界を離れ、レース場の広報責任者を務めたり、雑誌「エスクァイア」にスポーツ記事を書いたりしたという。やがて元の局に再雇用されて復帰し、1978年からは全米ネットの夜のトーク番組『ラリー・キング・ショー』を担当して、全国的に知られる存在となった。この番組は1994年まで続いた。その成功から、1985年6月にCNNの『ラリー・キング・ライブ』に出演するようになった。しかし1987年2月27日、大量の喫煙が原因で心臓発作を起こして生死の境をさまよい、バイパス手術で一命を取り留めた。この経験から、禁煙や心臓病克服の活動に力を注いだ。

1997年に放送業界40周年を迎え、ハリウッド・ウォーク・オブ・フェームに名を刻んだ。2010年6月29日に『ラリー・キング・ライブ』の終了を発表し、家族と過ごす時間を増やすためと説明した。12月16日、25年続いた番組は幕を閉じたが、その後もCNNで特別番組などの司会を続ける予定とされた。晩年は病が続き、2017年に肺の悪性腫瘍を摘出し、2019年3月には脳卒中で数週間昏睡状態に陥った。のちに、その直後に「こんな風に生きたくなかった」と自殺を考えたことを明かしている。2020年には息子アンディと娘チャイアを相次いで亡くした。2021年1月1日に新型コロナウイルス感染が判明してロサンゼルスの病院に入院し、同月23日に亡くなった。8度結婚し、5人の子と9人の孫、4人のひ孫がいた。著書に『ブルックリンの先はどこもトウキョウ』がある。

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