HISTORICAL PERSON · 2021年没

ジョーン・ディディオン

アメリカの小説家・エッセイスト・脚本家。ニュージャーナリズムの書き手として、1960年代のカウンターカルチャーや若者の姿を描いて注目された。

生涯
2021年没
死亡地
アメリカ合衆国(ニューヨーク州 / マンハッタン区)
出生地
アメリカ合衆国(サクラメント)
出典
世界地図
アメリカ合衆国(ニューヨーク州)

伝記

ジョーン・ディディオンは、1934年12月5日にカリフォルニア州サクラメントに生まれ、2021年12月23日に没したアメリカの小説家、エッセイスト、脚本家である。ニュージャーナリズムの書き手のひとりとされ、1960年代に興隆したカウンターカルチャーや当時の若者たちの姿を描いた小説やエッセイで注目された。

父は陸軍航空隊の財務将校で、一家は引っ越しを重ねたため、幼いころは通学が不規則だった。内気で読書好きな子供で、5歳のころにはすでに物を書き留めていたが、作家と自覚したのは作品が世に出てからだったという。思春期にはヘミングウェイの作品を打ち写して、文の組み立てを学んだ。のちの回想録では、たびたびの転居のせいで自分がいつも部外者であるように感じたと記している。カリフォルニア大学バークレー校で英文学を学び、1956年に卒業した。最終学年のとき、雑誌『ヴォーグ』が主催するエッセイ・コンテスト「パリ賞」で一等となり、同誌の調査助手の職を得た。

1956年から1964年までの『ヴォーグ』在籍中に、宣伝用コピーライターから副特集編集者へと昇進した。故郷カリフォルニアを恋しく思いながら、サクラメントの一家が崩れていく様を描いた処女作『ラン、リバー』を書き、1963年に出版した。編集を手伝ったのが、『タイム』誌のライターだったジョン・グレゴリー・ダンである。2人は1964年に結婚し、ロサンゼルスへ移った。1966年には生後間もない女の子を養女に迎え、クィンターナと名づけた。夫妻は『ライフ』『エスクァイア』などの雑誌や新聞に数多く寄稿し、小説やドキュメンタリーも書いた。1968年には最初のノンフィクション集『ベツレヘムに向け、身を屈めて』を刊行した。1970年には第2作の小説『プレイ・イット・アズ・イット・レイズ』を発表し、のちに古典的な作品とされる。

1968年からは空間識失調やめまい、多発性硬化症に悩まされた。1970年代初期には夫と夫の兄ドミニクの3人で映画会社を設立し、アル・パチーノ主演の『哀しみの街かど』を制作した。夫と共同で脚本を書いた『スター誕生』(1976年)は大成功を収め、『告白』(1981年)、『アンカーウーマン』(1996年)と二人三脚の脚本執筆が続いた。1980年代以降の政治的な著作では、政治の修辞やアメリカのラテンアメリカ政策を扱った。ニューヨークではアッパー・イースト・サイドの自宅アパートに夫とそれぞれ仕事場を持ち、約40年を一緒に過ごした。

2003年末、前年に結婚したばかりの娘クィンターナが肺炎から意識不明となり、マンハッタンの病院に入った。夫とともに集中治療室へ毎日通う最中、自宅アパートで夫が突然の心臓発作で亡くなった。その後の1年を綴った『悲しみにある者』は、ベストセラーとなり、2005年に全米図書賞を受賞した。同年、クィンターナも39歳で亡くなった。『悲しみにある者』は全米批評家協会賞とピュリッツァー賞の最終候補にもなり、2007年にはディディオン自身の脚色で舞台化されてブロードウェイで初演された。2011年には『さよなら、私のクィンターナ』を刊行している。2013年にはオバマ大統領から国家人文科学勲章を授与された。2017年には甥のグリフィン・ダンの監督で、彼女を描いたドキュメンタリーが公開された。ディディオンは2021年12月23日、パーキンソン病による合併症のため、ニューヨークの自宅で世を去った。

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