伝記
イドリス・デビは、1952年6月18日に生まれ、2021年4月20日に没したチャドの政治家であり軍人である。愛国救済運動(MPS)の党首を務め、約30年にわたり大統領の座にあって、同国で最も長く在任した大統領となった。
生まれたのは北部ファダの近郊の村ベルドバとされ、父はザガワ人のビデヤト氏族に属する牧畜民であった。ティネのコーラン学校に通い、ファダのフランス系学校、アベシェのフランス・アラブ学校で学び、さらにボンゴールの高校にも通って理学の学位を持っていた。卒業後はンジャメナの士官学校に入り、フランスで訓練を受けて1976年に職業パイロットの資格を得て帰国した。1979年に中央政権が崩れ、国が多くの武装勢力の戦場となるなか、有力な軍閥の一人ハブレに運命を託した。ハブレが1982年に大統領となると、その翌年に軍の総司令官に任じられた。
1984年には東部で親リビア勢力を破って頭角を現し、1985年にはパリの戦争大学の課程に派遣され、1986年の帰国後は大統領の主席軍事顧問となった。1987年にはフランスの支援を受けてリビア軍と戦ういわゆるトヨタ戦争で、リビア軍に大損害を与える戦術をとり、リビア領内の空軍基地への急襲も指揮した。しかし1989年4月1日、大統領警護隊の権限拡大をめぐってハブレとの間に亀裂が生じた。疑心を募らせたハブレは、デビらがクーデターを企てていると非難した。デビはダルフールを経てリビアへ逃れ、トリポリでカダフィに迎えられた。同じくザガワ人であった内相イトノと軍総司令官ジャムスは逮捕されて殺害され、ハブレはザガワ人への弾圧を進めた。
デビは1989年にスーダンへ移り、反政府勢力の愛国救済運動を結成した。リビアなどから支援を受けたとされる。1990年末にハブレに対するクーデターを率いてンジャメナを制圧し、暫定大統領となった。正式な就任は1991年2月28日とも、1990年12月4日ともいわれる。1992年に複数政党制を導入したが、MPSが一貫して支配政党であり続けた。1996年と2001年の大統領選で再選を果たしたが、当時の憲法では3期目にあたるはずだった。1996年3月31日に憲法が成立しているため1990年の当選は1期目とは数えないという見解が採られた。2004年5月には憲法を改正して再選の制限を撤廃し、2006年、2011年、2016年と当選を重ねた。2018年4月には再び憲法を改正して任期を6年とし、3選禁止を再導入したが、一連の動きは現職の在任を延ばすためのものと見られている。
在任中は国内の反乱が絶えなかった。元国防相ユスフ・トゴイミが率いた1998年から2002年の反乱や、隣国スーダンのダルフール紛争による難民危機を背景とする2005年から2010年の内戦などを乗り切った。2008年2月2日には反政府勢力が首都ンジャメナを一時制圧している。2000年代初めに石油が発見されると、石油生産を経済の原動力とした。権威主義的だと国際的な報道に評され、汚職や縁故主義、根強い恩顧主義が指摘された。2020年には死刑を廃止している。
2021年4月11日の大統領選は野党がボイコットするなかで行われ、19日に6選が発表された。しかし2016年に結成されたチャド変革和解戦線が4月に北部で攻勢を始め、デビは前線で部隊を指揮中に負傷し、翌20日に死亡した。後を継いだのは息子のマハマトが率いる暫定軍事評議会で、18カ月間政権を担うこととなった。
同じ年に亡くなった人物
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