伝記
フィリップ(エディンバラ公爵フィリップ王配、1921年6月10日-2021年4月9日)は、イギリスの王族である。女王エリザベス2世の王配(夫)で、チャールズ3世、アン王女、アンドルー王子、エドワード王子の父にあたる。ギリシャおよびデンマーク、ノルウェーの王家であるグリュックスブルク家の出身で、ヴィクトリア女王の玄孫でもあった。
1921年、ギリシャのコルフ島の別荘で、ギリシャ王子アンドレアスとアリキ妃(英語名アリス)の末子、第5子の長男として生まれた。母はバッテンベルク家(英語名マウントバッテン家)の出である。生後1年ほどでギリシャにクーデターが起こり、父は革命政府から死刑を宣告されたが、母が弟のジョージ・マウントバッテン卿を通じて英国政府の介入を求めた。英国が軽巡洋艦を派遣して圧力をかけた結果、一家は英国に引き渡された。その後ギリシャでは1924年の国民投票で王制の廃止が決まった。一家はパリ郊外サン=クルーの別荘で亡命生活を送ったが、家庭は円満ではなく、父は南仏で放蕩生活を送り、母は難聴が悪化して質素な信仰生活に入った。フランスでは「ギリシャ、デンマーク王子」の名乗りが通じず、姓をめぐる悩みから、長く自分の立場に苦しんだという。
1928年に渡英して叔父マウントバッテン卿を父代わりに寄宿学校へ入り、1933年からはドイツ南部のサレム校に学んだ。しかしナチスの圧力が強まるなか、ナチス式敬礼を嘲笑してトラブルになったため、姉夫妻の判断で英国へ戻された。その後はスコットランドのゴードンストウン校に入り、野外活動を含む厳しい教育で自己規律を身につけ、ヨットを好んだことが海軍を志すきっかけとなった。1937年に三姉セシリアが航空事故で亡くなり、1938年には叔父も病没したが、感情を表に出すことはなかったという。
1939年にダートマス海軍兵学校へ進み、7月に訪問した国王ジョージ6世一家の接待役を務めて、13歳のエリザベス王女と出会った。王女は彼に一目惚れしたとされる。第二次世界大戦では戦艦ラミリーズ、ヴァリアントなどに乗り組み、マタパン岬沖海戦での働きによりギリシア十字勲章を受けた。1942年に海軍中尉となり、駆逐艦ウェルプに乗って終戦を迎え、日本の降伏文書調印の日には東京湾に停泊していた。父アンドレアスは1944年にモナコで亡くなっている。1941年頃から王女と文通を重ね、1946年夏にバルモラル城で求婚した。
1947年2月に英国へ帰化し、母の実家の家名を英語化したマウントバッテンを姓とし、ギリシア正教会から英国国教会へ改宗して、ギリシャ王子とデンマーク王子の称号も放棄した。7月に婚約が発表され、結婚前日の11月19日にガーター勲章とエディンバラ公爵などの称号を授けられ、11月20日にウェストミンスター寺院で結婚した。1948年に長男チャールズが生まれ、その後も海軍に復帰して、1950年には海軍少佐としてスループ艦マグパイの艦長となった。1952年にジョージ6世が亡くなり、エリザベスが即位すると、フィリップは海軍を退いて夫として女王を支えた。公務の大半に夫妻で同伴し、単独の海外訪問は143か国637回、単独の公務は65年間で2万2千件以上、2017年時点で785団体の会長や支援者を務めた。96歳の2017年8月2日にバッキンガム宮殿で海兵隊を閲兵したのを最後に、すべての公務から引退し、2021年4月9日にウィンザー城で亡くなった。
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