HISTORICAL PERSON · 2021年没

クリストファー・プラマー

カナダの俳優。70年に及ぶキャリアを持ち、『人生はビギナーズ』で82歳にしてアカデミー助演男優賞を受賞し、演技賞の最年長受賞者となった。

生涯
2021年没
死亡地
アメリカ合衆国(コネチカット州 / ウェストン)
出生地
カナダ(トロント)
出典
世界地図
アメリカ合衆国(コネチカット州)

伝記

クリストファー・プラマー(本名アーサー・クリストファー・オーム・プラマー)は、1929年12月13日にカナダのオンタリオ州トロントで生まれ、2021年2月5日に没した俳優である。映画、テレビ、舞台で70年に及ぶ経歴を積み、アカデミー賞、プライムタイム・エミー賞2回、トニー賞2回、ゴールデングローブ賞、英国アカデミー賞などを受けた。演技三冠と呼ばれるアカデミー賞、エミー賞、トニー賞をすべて手にした数少ない俳優の一人であり、カナダ人では唯一とされる。

父ジョン・オーム・プラマーは証券を扱い、母イザベラ・メアリー・アボットは首相ジョン・アボットの孫娘で、プラマーにとって首相は曾祖父にあたる。両親は誕生後まもなく別居し、主に母のもと、モントリオール島西端のケベック州センヴィルにあるアボット家の屋敷で育った。少年のころはコンサート・ピアニストを目指して学んでいたが、早くから演劇を愛するようになり、モントリオールの高校で演じ始めた。ローレンス・オリヴィエの映画『ヘンリー五世』(1944年)を見て、俳優の道に進んだという。モントリオール・レパートリー・シアターで見習いとして基礎を学び。大学には進まず、生涯それを悔やんだ。1946年、高校の『高慢と偏見』でダーシー氏を演じて劇評家の目にとまり、18歳でコクトーの『地獄の機械』のオイディプス役に起用された。

1948年9月、オタワの劇団ステージ・ソサエティの『恋敵』でプロとして初舞台を踏んだ。1952年にはバミューダで多くの舞台に立ち、アメリカの興行師に見出された。1953年1月、『スタークロス・ストーリー』でブロードウェイに登場したが、盗作訴訟で初日に幕を閉じた。1958年から上演された『J.B.』でトニー賞にノミネートされ、1960年代にはロンドンで活躍した。1973年にブロードウェイへ戻り、『シラノ』で主演して、ミュージカル主演男優賞のトニー賞を得た。のちに、『バリモア』(1997年)でバリモアを演じ、演劇の主演男優賞のトニー賞も受けた。

映画デビューは1958年の『ステージ・ストラック』である。1965年のミュージカル映画『サウンド・オブ・ミュージック』では、ジュリー・アンドリュースと共演してトラップ大佐を演じ、広く知られた。『空軍大戦略』(1969年)のハーヴェイ少佐や、『スタートレックVI 未知の世界』(1991年)のチャン将軍も、日本で知られた役である。はじめは端整な顔立ちと美声で、歴史ドラマやサスペンスの知的で重厚な人物を多く演じたが、サイコスリラーの『サイレント・パートナー』で不気味な犯罪者を演じてから、1970年代後半より悪役や強烈な脇役が増え、性格俳優として脚光を浴びた。2000年代には『ナショナル・トレジャー』『シリアナ』など映画に数多く出演した。

同年の『終着駅 トルストイ最後の旅』で第82回アカデミー賞助演男優賞に初めて候補となり、2011年の『人生はビギナーズ』で第84回の同賞を受けた。82歳での受賞は演技部門の最高齢である。『ゲティ家の身代金』では第90回の同賞候補となり、88歳で演技部門の最高齢ノミネートの記録を更新した。

私生活では3度結婚した。1956年に女優タミー・グライムズと結婚して1960年に離婚し、娘アマンダ・プラマーは女優になった。1962年にジャーナリストと結婚して1967年に離婚し、1970年に女優エレイン・テイラーと結婚してコネチカット州ウェストンに住んだ。2021年2月5日、同州の自宅で死去した。妻によると、死因は転倒による頭部打撲である。

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