HISTORICAL PERSON · 2021年没

ジョン・マグフリ

タンザニアの政治家で第5代大統領。元は化学の教師や技術者で、複数の大臣を歴任した後、2015年の大統領選で当選した。

生涯
2021年没
死亡地
タンザニア連合共和国(ダルエスサラーム州 / ダルエスサラーム)
出生地
タンザニア連合共和国(チャト)
出典
世界地図
タンザニア連合共和国(ダルエスサラーム州)

伝記

ジョン・ポンベ・ジョセフ・マグフリは、1959年10月29日に生まれ、2021年3月17日に没したタンザニアの政治家である。同国の第5代大統領を務めた。タンガニーカと呼ばれていた時代の北西部、ビクトリア湖の岸で貧しい家に生まれ、小さな草ぶきの家に住んで、牛の世話をしながら牛乳や魚を売って家計を支えたという。

教育は1967年から1974年までチャトー小学校で受け、1975年から神学校で中等教育を受けた。1977年に別の中学校へ移って1978年に卒業し、1979年にムクワワ高校へ入って1981年に卒業した。同年、化学と数学の教員免状を得るためムクワワ教育大学に入学し、1988年にダルエスサラーム大学で理学の学位を取った。1994年には同大学とイギリスのサルフォード大学で化学の修士号を、2009年にはダルエスサラーム大学で化学の博士号を取得している。

政治家になる前は、1982年から1983年までセンゲレマ中学校で化学と数学を教えた。その後、教員を辞めて、1989年から1995年までニャンザ協力団体会社で工業化学者として働いた。1995年にチャトー選挙区から国会議員に選ばれ、最初の任期中に建設副大臣に任命された。2000年に再選されると建設大臣に昇格し、2006年1月4日にキクウェテ大統領のもとで土地住宅集落大臣となった。2008年から2010年までは畜産漁業開発大臣、2010年から2015年までは再び建設大臣を務めた。

2015年、与党タンザニア革命党の大統領候補を選ぶ過程で、元国際連合事務次長のアシャローズ・ミギロらを下して候補となった。同年10月25日の大統領選挙では、党を離れた有力な対抗候補と争い、中央選挙管理委員会は10月29日に58パーセントの得票で当選と発表した。副大統領にはサミア・スルフ・ハッサンが選ばれ、11月5日に就任した。就任後は緊縮財政と汚職撲滅に強い熱意を示し、独立記念日の式典を中止して代わりに清掃活動を行い、自らも路上でごみ拾いをした。議会開会を祝う夕食会の予算は9割以上削り、浮いた金を病院のベッド増設や道路工事に回した。海外への公式訪問を取りやめ、飛行機のファーストクラスの購入も禁じ、遅刻した公務員を6時間収監したこともあった。閣僚名簿は12月10日に発表され、閣僚は19人と前任者より11人少なく、費用削減のためいくつかの省は統合された。2016年4月12日には初の海外訪問先としてルワンダを訪れ、カガメ大統領と会って、国境の共同入出国施設の開所式を行い、虐殺の追悼式典にも参加した。「ブルドーザー」を意味する「ティンガティンガ」というあだ名があり、由来には諸説ある。

2020年10月28日の選挙では84パーセントの得票率で再選されたが、野党は不正があったと非難した。同年5月には、中国からの借款契約について「金は返さない」と発言した。新型コロナウイルスについては、検査の不正確さを訴え、6月には祈りによってウイルスは存在しなくなったと宣言した。11月13日には国民議会で所信演説を行い、汚職撲滅や貧困削減への決意を述べ、製造業への投資誘致を進めると表明している。ところが2021年1月から感染者が急増し、2月21日に流行を認めてマスク着用を呼びかけた。2月27日以降は公の場に姿を見せず、健康不安がささやかれた。3月に入院し、17日に心疾患のためダルエスサラームで61歳で死去した。同性愛には極めて批判的であったとされ、小学校の教師であるジャネットと結婚し、3人の子をもうけた。

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