HISTORICAL PERSON · 2021年没

ロバート・マンデル

カナダの経済学者。コロンビア大学教授を務め、1999年にノーベル経済学賞を受賞した。晩年は、ユーロ・ドル・人民元による新しい世界通貨体制を論じた。

生涯
2021年没
死亡地
イタリア共和国(シエーナ県 / モンテリッジョーニ)
出生地
カナダ(キングストン)
出典
世界地図
イタリア共和国(シエーナ県)

伝記

ロバート・アレクサンダー・マンデルは、1932年10月24日にカナダのオンタリオ州で生まれ、2021年4月4日に没した経済学者である。コロンビア大学の教授を務め、1999年にノーベル経済学賞を受けた。生地はキングストンとも、ラティマーという村ともいわれ、1945年に一家はキングストンの近くへ移った。その1年後に、ブリティッシュコロンビア州へ移って学業を続けた。

ブリティッシュコロンビア大学で経済学とスラブ研究を学んで卒業し、シアトルのワシントン大学では1954年に経済学の修士号を得た。さらにロンドン・スクール・オブ・エコノミクスで大学院の課程を学び、マサチューセッツ工科大学で1956年に博士号を取得した。このとき24歳であった。博士論文は国際的な資本移動を扱っている。

その後はスタンフォード大学やジョンズ・ホプキンズ大学で教え、1961年から1965年まで国際通貨基金で働いた。1965年から1972年まではシカゴ大学の経済学教授を務め、あわせて学術誌の編集者となった。1972年から1974年にはカナダのウォータールー大学に移り、1974年にコロンビア大学の経済学教授に就任した。2001年には、同大学で教員として最高位にあたるユニバーシティ・プロフェッサーとなっている。

業績の中心は、1960年代に発表した、開かれた経済における金融政策と財政政策の研究である。1961年にマンデルが経済モデルを組み立てたのと同じころ、マーカス・フレミングも似た研究を進めており、のちに両者の仕事はマンデル=フレミング・モデルと呼ばれた。このモデルは、ケインズ理論を開放経済における貨幣の動き、為替相場、資本市場へと広げたものである。また、フレミングとともに最適通貨圏の理論の源流とされ、貿易が各国のマクロ経済政策を縛ることを示した。複数の国にまたがる通貨圏でも、政治的な条件が満たされ、生産要素の移動が自由であれば成り立ちうるという。この理論と、1970年代初めからの欧州の通貨統合の擁護により、ユーロの父とも呼ばれる。1970年代のインフレーションを予測し、サプライサイド経済学が生まれる際には、カリスマ的な役割を果たしたともされる。マンデルの定理やマンデル=トービン効果にも名を残し、金本位制の運用の歴史的研究も手がけた。世界の最適な通貨の数は奇数で、3通貨未満が好ましいという主張でも知られる。

受賞歴には、1971年のグッゲンハイム賞、1983年のジャック・リュエフ賞、1997年のアメリカ経済学会の特別会員の表彰があり、1998年にはアメリカ芸術科学アカデミーの会員となった。邦訳書に『国際経済の貨幣的分析』などがある。

晩年には、ユーロ、ドル、人民元による新しい世界通貨体制を築くべきだと述べた。2010年の欧州ソブリン危機のころには、中心にあるギリシャのデフォルトが大規模な銀行取り付け騒ぎを誘発すると語り、欧州中央銀行がユーロ高を容認したことで域内の高債務国の危機が悪化したとも指摘した。私生活では、1957年から1972年までバーバラ・シェフと結婚して3人の子をもうけ、のちに詩人のバレリー・ナツィオスと再婚して、65歳のときに男の子が生まれた。絵も描き、哲学と歴史を好んだという。1992年にパリ大学、2000年に中国人民大学から名誉博士号を受け、北京の企業家育成の大学には名が冠された。2021年4月4日、胆管癌のため、イタリアのシエーナで死去した。

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