伝記
タニア・ロバーツは、本名ヴィクトリア・リー・ブルムといい、1949年10月15日に生まれたアメリカ合衆国の女優である。生地はニューヨークのブロンクスとも、マンハッタンともされ、長く1955年生まれとされてきたが、実際は1949年だという。父はユダヤ系、母はアイルランド系の血を引き、その逆と誤って伝えられたこともある。姉が1人いた。家は貧しかったともいわれ、両親はのちに離婚し、本人も高校を中退した。
15歳で結婚し、アメリカ中をヒッチハイクで旅する生活を送ったが、相手の母親の訴えで婚姻は無効になったとされる。同じ15歳で芸能界に入り、ニューヨークでモデルやアーサー・マレーのダンス教室の講師を務めた。解熱鎮痛剤やヘアケア製品、サングラスのテレビコマーシャルに出演し、アクターズ・スタジオではリー・ストラスバーグやウタ・ハーゲンから演技を学んだ。オフ・ブロードウェイでは『ピクニック』や『アンティゴネ』といった芝居で真面目な役を演じた。1973年には映画館の列で出会った心理学専攻の学生で、のちに脚本家となるバリー・ロバーツに地下鉄の駅で求婚して結婚した。タニア・ロバーツの名はこのころから使い始めたとされる。1975年に『ラスト・レイプ』で映画デビューを果たし、1977年に夫妻でハリウッドへ移った。その後『J・エドガー・フーヴァーの秘密ファイル』や『フィンガーズ』などに出たが、テレビのパイロット版は採用されないものが続いた。
転機は、アーロン・スペリングが総指揮を務める『ベガスII』へのゲスト出演で注目を集めたことだった。1980年の夏、約2000人の候補者の中から、シェリー・ハックの後任として『地上最強の美女たち! チャーリーズ・エンジェル』の最終シーズンの1人、ジュリー・ロジャース役に選ばれた。拳を銃以上に使う、気の強い役だった。番組を立て直す期待が寄せられ、雑誌『ピープル』の表紙も飾ったが、視聴率は低迷し、シリーズは1981年6月に打ち切られた。以後は美しくセクシーな容姿を生かした役が多くなった。1982年の『ビーストマスター』では主人公に救われる奴隷キリを演じ、この映画はカルト的な人気を得た。宣伝のため『プレイボーイ』誌に登場し、同年10月号の表紙を飾った。
1984年にはジョン・ギラーミン監督の『シーナ』に主演した。女版ターザンとして人気のあった米国のコミックの映画化で、アフリカの奥地にひとり残された白人の少女が、現地の女祈祷師に育てられ、ジャングルの王女として悪と闘う物語である。興行は振るわず、ゴールデンラズベリー賞の最低主演女優賞にノミネートされた。1985年には『007 美しき獲物たち』のボンドガール、ステイシー・サットン役に抜擢され、役のために黒髪を金髪に染めた。作品は世界で1億5240万ドルを稼ぐ大ヒットとなったが、本人の印象は薄いと評された。以後は『タニア・ロバーツのプリズン・ベイビー』(1988年)、『ナイトアイズ 危険な肉体』(1990年)、『スキャンダラスな女 愛と欲望の私生活』(1991年)などに出演した。
2006年に夫バリーと死別した。2020年12月24日、犬の散歩から帰宅した後に自宅で倒れて入院した。翌年1月3日に複数のメディアが死亡を報じたが、広報担当者はいったんこれを覆して重篤な状態だと発表した。その後、病院から連絡を受けたパートナーの話として、2021年1月4日の夜に尿路感染症のため亡くなったと発表された。
同じ年に亡くなった人物
- ジャッキー・メイソン (2021年没)
- ジョブネル・モイーズ (2021年没)
- シブシソ・モヨ (2021年没)
- 八奈見乗児 (2021年没)
- Porfirio Betancourt (2021年没)
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- カーター・デヘイヴン (1977年没)
- ラリー・ファイン (1975年没)