伝記
アリキオンは、古代ギリシアのペロポネソス半島にあったピガレイア出身の競技者で、古代オリンピックのパンクラティオンの優勝者である。紀元前564年に没した。パンクラティオンの選手のなかで最も名高い人物と評されている。パンクラティオンは、ボクシングとレスリングを合わせた格闘技で、蹴りや抑え込み、関節技、地面での絞め技も含んだ。現代の総合格闘技に似たものとされる。アリキオンは第52回オリンピアード(紀元前572年)と第53回オリンピアード(紀元前568年)のパンクラティオンで優勝した。
第54回オリンピアード(紀元前564年)では、3連覇をかけて出場した。その決勝での最期の試合の様子が、地理学者パウサニアスと小フィロストラトスによって記されている。パウサニアスによれば、野生のオリーブの冠をかけて最後に残った相手と戦った際、相手が先に組みつき、両脚でアリキオンの胴を挟み込み、同時に両手で首を絞めた。アリキオンは相手の足の指を脱臼させたが、窒息して息絶えた。ところが、アリキオンを絞めていた相手も、足の指の痛みのためにほぼ同時に降参せざるをえなかった。エリス人たちは、アリキオンの遺体に冠を授け、勝者として宣告した。小フィロストラトスの記述はもっと長い。想像上の画廊を巡る『描写』のなかで、アリキオンの死を描いた絵を語っている。それによれば、相手はすでに胴を組み止め、アリキオンを殺すつもりで前腕を喉に巻きつけて呼吸を断ち、脚を鼠径部に押しつけ、両足を相手の膝の内側にかけて抵抗を封じ、死の眠りが忍び寄るまで絞めつけていた。しかし相手が脚の締めを緩めたとき、アリキオンの企てを防ぐことができなかった。アリキオンは右足の裏で蹴り返し、腿で相手をしっかり捕らえて抵抗できなくし、体重を左へ投げかけながら相手の足を自分の膝の内側で固定した。そして外へ激しく押し出して、相手の足首を関節から外したという。
アテナイのフィロストラトスは『体育論』で、アリキオンが降参しなかったのは、師のエリュクシアスが「オリンピアで一度も敗れなかった、とは何と立派な墓碑銘だろう」と叫んだからだと述べている。
ピガレイアにはアリキオンの勝者像が建てられた。これと同じと考えられる像が、現在はオリンピアの博物館に展示されている。年代の分かるオリンピックの勝者像として、最も古いものの一つである。詩人ジャネット・スレルフォールは、この選手を題材に「アリキオン」という詩を作り、アリキオンが聖パウロがギリシアにキリスト教をもたらす前に生き、死んだことを嘆いた。
この最期の試合は、映画『モンティ・パイソン・アンド・ホーリー・グレイル』の黒の騎士の場面でパロディにされたかもしれないともいわれる。黒の騎士はアーサー王に四肢を切り落とされても降参を拒む。DVDの解説によれば、ジョン・クリーズは英語の授業で、「決してあきらめなければ、負けることはありえない」という教訓の話として聞かされ、それがとても怪しい結論に思えたという。
同じ年に亡くなった人物
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