伝記
ティク・ナット・ハンは、ベトナム出身の禅僧で、平和・人権運動家、学者、詩人である。1926年10月11日、ベトナム中部の古都フエに生まれた。生まれたときの名はグエン・スアン・バオで、父は旧フランス統治下の役人、母は主婦であり、六人きょうだいの五番目だった。7、8歳のころ、草の上に座る穏やかな仏陀の絵を見て喜びを覚えたという。学校行事で訪ねた山では、静かに座り続けると伝わる隠者の住まいの近くで見つけた天然の井戸の水を飲み、満ち足りた気持ちになった。この経験が僧になる望みにつながったとされる。12歳で修行への関心を口にし、両親は初め慎重だったが、16歳での出家を認めた。
1942年にフエの慈孝寺で出家した。師は禅師タン・クイ・チャン・タットで、3年間を見習いとして過ごし、大乗と上座の伝統の修行を受け、中国語、英語、フランス語も学んだ。仏教学院の教育は哲学や文学、外国語が足りないと感じて1950年に離れ、サイゴンの寺に移った。1951年に僧として正式に受戒し、書物や詩を売って生計を立てながらサイゴン大学で文学、哲学、心理学、科学を学んだ。1949年にサイゴンへ移ったときに「ナット・ハン」の称号を名のったともされる。1950年に禅の道場を創設し、ベトナムで初めて、僧の授業に外国語や西洋の科学、哲学の学習を取り入れた。
ベトナム戦争のさなか、僧院にとどまって修行を続けるか、外へ出て爆撃に苦しむ人々のために動くかを考えた末、戦禍をくぐりながら両方を行うと決めた。こうして「行動する仏教」(社会参画仏教)の指導者として被災者や難民の救済にあたった。1964年以降は、病院や社会福祉青年学校、万行大学、接現同修(ティエップヒエン教団)などを設立し、孤児の支援や遺体の回収も行った。1966年に渡米してベトナム戦争の終結に向けた和平案を示したが、戦争に反対しつつどちらの側にも立たなかったため、南ベトナムから事実上追われる形になったという。1967年にはキング牧師の推薦でノーベル平和賞の候補となった。1973年のパリ平和会議ではベトナム仏教徒の首席代表を務めたが、その後ベトナム政府から帰国を拒まれた。
1982年に南フランスにプラムヴィレッジ瞑想センターを設立し、社会的な活動を続けるとともに、教えにひかれて集まる人々への瞑想指導を始めた。プラムヴィレッジは小さな農場から、西洋で最も大きく活発な仏教僧院の一つへと成長した。1995年4月には来日し、約20日間、各地で瞑想会や講演会を開いた。2003年と2011年にはアメリカ連邦議会で瞑想を指導し、2006年にはパリのユネスコ本部で、暴力や戦争、地球温暖化の悪循環を断つ具体策を求める演説を行った。2008年にはインド国会で開会の辞を述べ、2011年にはグーグル本社で一日のマインドフルネス研修を指導した。2012年には英国議会と北アイルランド議会に招かれ、慈悲と非暴力を説いた。多くの著作が日本語にも訳されている。
2014年11月、フランスで重い脳出血で倒れて昏睡状態となったが、翌年初めに少しずつ意識を取り戻した。言語に障害は残ったものの回復し、2015年4月にプラムヴィレッジへ戻った。約39年に及ぶ亡命ののち、2005年にベトナム訪問を許され、2018年にはベトナムへ帰国して、出家した慈孝寺で暮らした。2022年1月22日、自坊で遷化した。世寿96歳、法臘80歳だった。
同じ年に亡くなった人物
- ダグラス・トランブル (2022年没)
- オリン・ハッチ (2022年没)
- ユルゲン・グラボウスキ (2022年没)
- ダグラス・マクグラス (2022年没)
- ユリス・ハルトマニス (2022年没)