HISTORICAL PERSON · 2022年没

エドワード・プレスコット

アメリカの経済学者。動的マクロ経済学への貢献により、2004年にフィン・キドランドと共にノーベル経済学賞を受賞した。アリゾナ州立大学教授を務めた。

生涯
2022年没
死亡地
アメリカ合衆国(アリゾナ州 / Paradise Valley)
出生地
アメリカ合衆国(グレンズフォールズ)
出典
世界地図
アメリカ合衆国(アリゾナ州)

伝記

エドワード・プレスコットは、1940年12月26日にニューヨーク州グレンズフォールズで生まれ、2022年11月6日に81歳で亡くなったアメリカ合衆国の経済学者である。2004年に、フィン・キドランドとともにノーベル経済学賞を受けた。

1962年にスワースモア大学で数学の学士号を取り、1963年にはケース・ウェスタン・リザーブ大学でオペレーションズ・リサーチの修士号を得た。1967年にカーネギーメロン大学テッパー・スクール・オブ・ビジネスで経済学の博士号を取得している。同年にはアレグザンダー・ヘンデソン賞も受けた。

教員としての歩みは、1966年から1967年のペンシルヴァニア大学経済学部の講師に始まる。その後カーネギーメロン大学の大学院で、1971年から助教授、1972年から准教授、1975年から1980年まで教授となった。1978年から1979年にはシカゴ大学のフォード財団客員研究教授として招かれた。1980年からはミネソタ大学ツインシティー校の経済学部教授となり、1998年までその職にあった。1998年から1999年にはシカゴ大学の教授を務め、1999年から2003年はふたたびミネソタ大学で教えた。並行して1980年から2003年まで、ミネアポリス連邦準備銀行の調査部でシニア・アドバイザーを務めている。2003年にはアリゾナ州立大学に移り、W・P・ケアリー講座の教授として2022年まで教壇に立った。同じ2003年から亡くなるまで、ミネアポリス連邦準備銀行の調査部でシニア・マネタリー・アドバイザーも務め、2009年にはアリゾナ州立大学の経済効率高等研究センターのセンター長に就いた。

研究では、ビジネスサイクル理論と一般均衡理論で知られ、マクロ経済学界の重鎮とされる。1977年にキドランドと発表した論文「裁量ではなく規則――最適計画の非整合性」では、中央銀行は数字で定めた厳格な目標を持つべきか、それとも金融政策に自由裁量を認めるべきかを分析した。もう一つの柱が1982年の論文「建設に要する時間と総体的な変動」で、技術の変化にともなう供給面の変動が景気循環を説明するという考えを示した。モデルによって、産出の変動のおよそ70パーセントが技術の変化と成長に結びつくことを示したとされる。時系列の変動をならすために使われるホドリック=プレスコット・フィルターにも、その名が残っている。

ノーベル賞の対象となったのは、動的マクロ経済学への「経済政策の時間的整合性、およびビジネスサイクルの背後にある推進力」についての貢献で、この研究は主に、キドランドとカーネギーメロン大学で親交を深めた時期になされた。計量経済学会のフェロー(1980年)、アメリカ芸術科学アカデミーのフェロー(1992年)、ノースウェスタン大学のアーウィン・プレイン・ネンマーズ経済学賞(2002年)、米国科学アカデミーの会員(2008年)といった栄誉も受けている。2009年1月には、250人以上の経済学者や教授とともに、オバマ大統領の2009年アメリカ復興・再投資法に反対する公開書簡に署名し、書簡はニューヨーク・タイムズなどの新聞に有料広告として掲載された。著書にはパレンテとの共著『豊かさへの障壁』(2000年)がある。1971年にはロバート・ルーカスとの共著で「不確実性のもとでの投資」を発表している。2022年11月6日、癌のため亡くなった。

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