HISTORICAL PERSON · 2022年没

ミートローフ (歌手)

アメリカのロック歌手、俳優。約60年のキャリアで歌手として1億枚以上のアルバムを売り上げ、映画『ファイト・クラブ』など65作以上に出演した。

生涯
2022年没
死亡地
アメリカ合衆国(テネシー州 / ナッシュヴィル)
出生地
アメリカ合衆国(ダラス)
出典
世界地図
アメリカ合衆国(テネシー州)

伝記

ミートローフは、1947年9月27日にアメリカ合衆国テキサス州ダラスで生まれたロック歌手であり、俳優でもある。本名はマーヴィン・リー・アーディーで、のちにマイケル・リー・アデイとも名乗った。少年時代にアメリカンフットボールでタックルを得意としたことから、ミートローフというあだ名がついたとされる。約60年に及ぶキャリアで、歌手として1億枚以上のアルバムを売ったといわれ、65作以上の映画にも出演した。

父は警察官、母は学校の教師で、ゴスペル四重唱のメンバーでもあった。父は酒場で飲み歩いて何日も戻らないことがあり、母とともに車でダラス中の酒場を探し回ったという。そのため祖母の家で過ごすことも多かった。1965年に高校を卒業し、学校の演劇で俳優としての道に入った。母の死で遺産を受け取ったあと、アパートに3カ月半こもり、友人に見つけられた。まもなく空港から最初に出る便に乗り、ロサンゼルスへ向かったとされる。

ロサンゼルスで最初のバンド「ミート・ローフ・ソウル」を結成し、1968年にハンティントンビーチで初めて演奏した。最初の曲の録音では、あまりに高い音を出して録音用モニターのヒューズを飛ばし、すぐに3つの契約を持ちかけられたが、断ったという。バンドは名前や編成を変えながらフローティング・サーカスなどを名乗り、ザ・フーやグレイトフル・デッドらの前座を務めた。やがてロック・ミュージカル『ヘアー』のロサンゼルス公演に加わり、その縁でモータウンに招かれた。同じ『ヘアー』に出ていた歌手のショーン・"ストーニー"・マーフィーとのデュオで、1971年にモータウン傘下のレア・アースから『ストーニー&ミートローフ』を発表してデビューした。ツアーのあと、再び『ヘアー』の一座に加わり、今度はブロードウェイの舞台に立ったと伝えられる。

1970年代前半は主に俳優として活動し、オフ・ブロードウェイのミュージカルに出演したほか、1975年の映画『ロッキー・ホラー・ショー』にも出た。1976年にはテッド・ニュージェントのアルバムにボーカリストとして参加している。そして1977年、ジム・スタインマンの作詞・作曲、トッド・ラングレンのプロデュースによる『地獄のロック・ライダー』を発表した。この作品は全米と全英のチャートに長く入り続け(最高位は英国9位、米国14位)、起死回生の一枚となった。シングルの「66%の誘惑」もビルボードで11位を記録した。販売総数は約4300万枚とされ、史上最も売れたアルバムの一つに数えられる。ヘヴィメタルを思わせる題名やジャケットとは裏腹に、堂々たる体躯から出る力強い声とスタインマンのピアノが生む、ロック・オペラと紹介される音楽だった。

その後スタインマンとの不和が生じたが、彼の曲を使い続けた。1993年の『地獄のロック・ライダーII』はビルボードのアルバムチャートで1位となり、シングルの「愛にすべてを捧ぐ」も全米シングルチャートで1位を記録して、グラミー賞を受けた。俳優としては1999年の映画『ファイト・クラブ』でロバート"ボブ"ポールスンを演じ、カルト的な人気を得た。『マイ・フレンド・メモリー』などにも出ている。Q誌が選ぶ偉大な100人のシンガーでは90位に入った。前妻との娘パール・アーディーは、アンスラックスのギタリストであるスコット・イアンの妻である。2022年1月20日に死去し、新型コロナウイルスに感染していたと報じられた。

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