HISTORICAL PERSON · 2023年没

セオドア・カジンスキー

アメリカの数学者で、爆弾犯。1978年から1995年に連続爆弾事件を起こして3人を殺害し、産業社会を批判する論文を公表させた。ユナボマーと呼ばれた。

生涯
2023年没
死亡地
アメリカ合衆国(ノースカロライナ州 / デューク大学病院)
出生地
アメリカ合衆国(エバーグリーンパーク)
出典
世界地図
アメリカ合衆国(ノースカロライナ州)

伝記

セオドア・カジンスキーは、1942年5月22日にシカゴでポーランド系移民2世の子として生まれ、2023年6月10日に亡くなったアメリカの数学者で、連続爆弾事件の犯人である。FBIが事件につけたコードネームから、ユナボマーとも呼ばれた。幼いころは重い蕁麻疹で病院の隔離室に入れられ、退院後も感情をほとんど見せない時期が何か月も続いたと、両親は弟のデイヴィッドに語っている。

知能テストでIQ167を記録し、6年生を飛び級した。後に本人は、これが大きな出来事だったと語っており、年上の子になじめず、いじめも受けたという。母の回想では恥ずかしがり屋の子で、遊び場に連れて行ってもなじもうとしなかった。高校ではマーチングバンドでトロンボーンを演奏し、科学と数学の好きな生徒たちと「かばんっ子」と呼ばれる仲間をつくったが、クラスではよそもの扱いだった。学業は抜きん出ており、数学の上級クラスの教材をすぐに終えてしまい、3年生を飛び級して15歳で卒業した。1958年に奨学金で16歳でハーバード大学に入学し、1962年に数学の学位を得て卒業した。大学2年のころ、心理学者ヘンリー・マレーの指導する実験に被験者として参加し、3年間にわたって週に一度、自分の信条を材料に侮辱される経験をした。参加時間は200時間に及んだ。弁護人は、彼のマインドコントロール技術への敵意の原因をこの実験に求めている。なお1990年には、末期がんと診断された父が自ら命を絶った。

1962年にミシガン大学の大学院に進み、1964年に修士号、1967年に博士号を取得した。専攻は複素解析で、学位論文『境界関数』はその年のミシガン大学で最も優れた数学の博士論文としてサムナー・B・マイヤーズ賞を受けた。ミシガン大学が大学院進学の第一候補だったわけではなく、ほかの大学は学費援助などを得られなかったという事情があった。指導教官は「今まで見てきた中でも一番素晴らしかった」と評している。1967年後半、25歳でカリフォルニア大学バークレー校の助教授となり、開学以来最年少の数学の助教授だった。ただ学生の評価は芳しくなく、教師の立場に居心地の悪さを感じているという印象を持たれていた。1969年6月30日、何の説明もなく退職した。

1971年にはモンタナ州リンカーン郡近郊の人里離れた小屋に移り、電気も水道もない暮らしの中でサバイバル技術を磨き、自給自足を目指した。しかし小屋の周りの原野が破壊されるのを目の当たりにし、自然の中で暮らすだけではだめだと考えるに至り、1978年から爆弾事件を起こし始めた。1995年にかけて、現代科学技術に関わりのある人々を標的にした事件を重ね、3人が死亡し、23人が重軽傷を負った。1995年にはニューヨーク・タイムズに手紙を送り、論文『産業社会とその未来』が掲載されればテロ活動をやめると約束した。論文では、現代科学技術が人間の自由と尊厳を蝕んでいると主張した。

論文が活字になると、弟デイヴィッドが文体の特徴に気づいて通報し、1996年にカジンスキーは逮捕された。捜査はFBIの歴史上、最も予算と時間のかかったものとされる。弁護士が死刑を避けるため精神錯乱を主張しようとしたため、彼は解任を求めたが認められなかった。1998年に司法取引が成立し、すべての罪を認める代わりに、仮釈放なしの終身刑を言い渡された。2023年6月10日に死去した。

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