伝記
坂本龍一(1952年1月17日 - 2023年3月28日)は、日本の作曲家、編曲家、ピアニスト、音楽プロデューサーである。愛称は「教授」。クラシック音楽を根幹に、民俗音楽やテクノポップにも造詣が深く、1987年には日本人で唯一アカデミー作曲賞を受けた。
東京都中野区に生まれた。父は河出書房の編集者で三島由紀夫らを担当した坂本一亀、母は帽子デザイナーの敬子である。3歳でピアノを習い始め、10歳から東京芸術大学教授の松本民之助に作曲を学んだ。14歳のころにドビュッシーの音楽に出会って大きな影響を受け、人生で最も影響を受けた音楽家はドビュッシーとバッハだと語っている。都立新宿高校では読書や学生運動に打ち込み、ジャズを聴き、自らも演奏した。1970年に東京芸術大学へ入り、民族音楽学者の小泉文夫の講義に衝撃を受けた。作風は変遷を重ねたが、その根底には小泉から学んだ知識や思想があるようだとされる。1974年に作曲科を卒業して大学院に進み、1977年に修了した。
1975年、友部正人のアルバムにピアノで参加してスタジオ・ミュージシャンの道を歩み始めた。1976年には竹田賢一と「学習団」を組織し、土取利行との共作でアルバム『ディスアポイントメント-ハテルマ』を発表した。その後りりィのバックバンドに所属し、大貫妙子のアルバムではアレンジャー、プロデューサーとしても参加している。1978年に細野晴臣の誘いで高橋幸宏とともにイエロー・マジック・オーケストラ(YMO)を結成し、同年に初のソロアルバム『千のナイフ』も発表した。続く『ソリッド・ステイト・サヴァイヴァー』で爆発的な人気を得て、1979年から翌年にかけて2度のワールドツアーを行った。1979年にはアレンジしたサーカスの「アメリカン・フィーリング」で日本レコード大賞編曲賞を受け、1982年には忌野清志郎と組んだ「い・け・な・いルージュマジック」が資生堂のキャンペーンソングとしてヒットした。この年に矢野顕子と結婚している。1983年の大島渚監督の映画『戦場のメリークリスマス』には、ヨノイ大尉役で出演するとともに音楽も手がけ、日本人として初めて英国アカデミー賞の作曲賞を受けた。
1987年公開の『ラストエンペラー』の音楽ではアカデミー作曲賞を受け、ゴールデングローブ賞、1989年のグラミー賞でも賞を重ねた。『シェルタリング・スカイ』のサウンドトラックも手がけ、映画音楽家としての地位を築いた。1995年11月30日には、ワイドプロジェクトの協力を得て日本初のインターネット配信ライブを行い、ステージ上の映像をリアルタイムで操る試みは後のVJの先駆けでもあった。1999年には、CM曲だった「エナジー・フロー」が癒し系楽曲として絶大な人気を得て、同曲を収めたアルバムはミリオンセラーとなった。以後は現代音楽の手法、ワールドミュージック、オペラ、アンビエントやエレクトロニカなど、ジャンルを横断した作品を発表した。2009年の『アウト・オブ・ノイズ』のように、アコースティックな感触をもつ脱構築的な作風へ移った。1981年からNHK-FMの「サウンドストリート」のパーソナリティも務めた。
晩年は環境問題や憲法をめぐる運動にも積極的に関わった。2000年代半ばのPSE問題では中心人物として反対運動を行い、2008年には、新たに発売する自らのレーベルのCDをすべてカーボンオフセット対応にすると発表した。長年の喫煙者だったが、針治療を通じて禁煙に成功した。2023年3月28日に亡くなった。
同じ年に亡くなった人物
- レス・マッキャン (2023年没)
- アンドレ・ブラウアー (2023年没)
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