伝記
ナワーフ・アル=アフマド・アル=ジャービル・アッ=サバーハは、1937年6月25日に生まれた第16代クウェート首長である。父は第10代首長のアフマド・アル=ジャービル・アッ=サバーハで、異母兄サバーハの死後に首長の座を継いだ。兄弟には、ザハーハ、第13代首長ジャービル、ファハドらがいる。第14代首長サアドとははとこにあたる。名のアラビア語の発音はナウワーフだが、日本語ではナワーフやナッワーフとも表記される。幼いころはクウェート国内のハマダ、シャルク、ナクラ、ムバーラキーヤなどの学校で学んだ。
若くして要職に就き、25歳だった1962年2月21日にハワッリー県の知事に任じられ、1978年3月までこの職にあった。1978年から1988年1月まで内務大臣を務め、同月に国防大臣となった。湾岸戦争でのクウェート解放後の1991年4月には、労働・社会問題相の代行に任じられ、1992年10月までその職にあった。この任命の後、軍の高官たちが当時の首長に書簡を送り、イラクによる侵攻の日の軍事的な備えの不足をめぐって、侵攻時に国防相だった彼と内務相だった人物の更迭と調査を求めたと伝えられる。このため彼は、2003年まで閣僚級の役職に就かなかった。
1994年10月16日にクウェート国家警備隊の副長官に就任し、2003年まで務めた。同じ2003年には再び内務大臣となり、10月16日の首長令により第1副首相兼内務大臣に任命された。湾岸協力会議やアラブ諸国の結束を支える取り組みにも関わったとされる。2006年1月にサバーハが首長に就くと、同年2月7日付の首長令で彼は皇太子に指名された。これは、サーリム家とジャービル家から交互に首長を出すという一族の慣例に反する指名であった。
2020年9月29日に異母兄サバーハ4世が亡くなり、国民議会の会合で新首長として発表され、翌日に即位した。在位中は新型コロナウイルスの流行、原油価格の大幅な下落、議会と政府の対立を主因とする政治的な危機が続き、国内の政治・経済の難題にかじを取る時期となった。クウェートは石油輸出国機構の主要な加盟国で、経済は石油の輸出に大きく依存している。公式の統計では、2022年の国内総生産は1840億ドル、石油の輸出は日量280万バレル、人口はおよそ430万人とされる。2022年7月24日には、異母弟のミシュアル皇太子が、彼の息子アフマドを首相に任命した。しかし半年後の2023年1月、個人債務の救済法案の成立を求める議会との対立が深まり、アフマドは首相辞任を表明した。彼は1月26日にこれを承認する首長令を出した。
私生活では、シャリーファ・スライマーン・アル=ジャースィム・アル=ガーニムと結婚し、4人の息子と1人の娘がいる。2021年にはアメリカ合衆国で、詳細の明かされない病気の治療を受けたと報じられた。2023年11月29日に急な体調不良で入院し、12月16日に86歳で死去した。葬儀は近親者のみで営まれ、ビラール・ブン・ラバーフ・モスクで行われたのち、スライビーハート墓地に埋葬された。後継の首長には異母弟のミシュアルが就いた。生前には、2007年にザーイド勲章の頸飾、2008年に民間功労勲章のナイト・グランド・クロス、2011年に解放者将軍サン・マルティン勲章のグランド・クロス、2018年にパレスチナ国の大頸飾などの栄誉を受けている。
同じ年に亡くなった人物
- ジャムナ (2023年没)
- ボブ・リチャーズ (2023年没)
- ケネス・アンガー (2023年没)
- クリストフ・ツー・シュレースヴィヒ=ホルシュタイン (2023年没)
- ヤンセン・パネッティーア (2023年没)
同じ地域に関係する人物
- ムバーラク・ビン・サバーハ・アッ=サバーハ (1915年没)
- アブドゥッラー3世・アッ=サバーハ (1965年没)
- サアド・アル=アブドゥッラー・アッ=サバーハ (2008年没)
- ジャービル・アル=ムバーラク・アッ=サバーハ (1917年没)
- サーリム・アル=ムバーラク・アッ=サバーハ (1921年没)