伝記
ジェーン・バーキンは、1946年12月14日にイングランドのロンドンで生まれ、2023年7月16日に没したイギリスとフランスの女優、歌手、モデルである。イギリスとフランスにまたがるマルチ・アーティストとして知られ、女優シャルロット・ゲンズブールら三姉妹の母でもある。高祖父のリチャード・バーキンは7歳で織物職人として働き始め、レース製造工場を興して成功し、ノッティンガムの市長を務めた。曾祖父は准男爵に叙され、一族は上流階級に加わったが、祖父と父は実業界に進まず軍人となった。母は女優で、兄は映像作家のアンドリュー・バーキンである。
1963年、17歳でグレアム・グリーンの戯曲『彫像』に出演し、翌1964年にはミュージカル「パッション・フラワー・ホテル」に出た。同年、18歳で映画『ナック』のオーディションに採用されて端役で女優デビューし、音楽を担当したジョン・バリーと結婚して、写真家となるケイトを産んだが、のちに離婚した。1967年には出演した『欲望』がカンヌ映画祭でパルム・ドールを受賞している。
1968年にフランスへ渡り、映画『スローガン』で主役のセルジュ・ゲンズブールと出会った。のちに事実婚の関係となるが、当時のバーキンは「結婚はもうたくさん」と考えており、法的には結婚しなかった。1969年にデュエット・シングル「ジュ・テーム・モワ・ノン・プリュ」を発表すると、各国で放送禁止となり、2人はセンセーショナルで反逆的なカップルとして崇拝された。1971年4月には主演映画『ガラスの墓標』の宣伝のため、ゲンズブールと初来日した。このときバーキンはシャルロットを身ごもって8か月で、出迎えた配給会社の社員を驚かせたという。1980年にゲンズブールの酒乱やDVを理由に別れたが、のちに和解し、2人の間に生まれた娘シャルロットも女優となった。その後も1991年にゲンズブールが病没するまで仕事での共演や私生活での交流を続けた。同じ1980年に映画監督ジャック・ドワイヨンと出逢って翌年結婚し、夫の監督作『放蕩娘』に主演した。1982年に娘ルーが生まれたが、夫が撮った『シャルロット・ゲンズブール/愛されすぎて』の内容が自分たちの話に酷似していたことから、以後別れた。
エルメスの定番バッグ「バーキン」は、社長が飛行機で偶然隣り合わせたバーキンが、籐のかごに物を無造作に詰め込んでいるのを見て、何でも入れられるバッグを贈ったのが始まりとされる。日本とのつながりも深く、1999年には『想い出のロックン・ローラー』収録の「無造作紳士」がTBSドラマ『美しい人』の主題歌となり、日本限定のベスト・アルバムも30万枚のヒットになった。2002年のライブ・アルバム『アラベスク』ではゲンズブールの曲をアラビア風に編曲した。2011年の東日本大震災では4月6日という早い時期に来日し、震災支援のチャリティーコンサートを開き、渋谷の街頭では募金活動も行った。
2001年に大英帝国勲章オフィサーを受け、2017年にはゲンズブールの曲をシンフォニックにカヴァーした9年ぶりのスタジオ・アルバムを出して来日公演を行い、同年末にフランス芸術文化勲章オフィシエを受けた。2018年春には旭日小綬章を受章している。2020年にもスタジオ・アルバムを発表している。2023年7月16日、パリの自宅で亡くなっているところを発見された。
同じ年に亡くなった人物
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- マイケル・ラーナー (2023年没)
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