伝記
ポール・バーグは、1926年6月30日にニューヨークのブルックリンで生まれ、2023年2月15日に96歳で没したアメリカ合衆国の生化学者である。東欧系ユダヤ人移民の家庭に生まれ、母サラ・ブロツキーは主婦、父ハリー・バーグは衣料品の製造業者だったとされる。1943年にアブラハム・リンカーン高校を卒業し、ペンシルベニア州立大学で生化学を専攻して1948年に卒業した。1952年にはケース・ウェスタン・リザーブ大学大学院から博士号を得ている。
大学院時代には、放射性同位体を用いて代謝中間体を調べる実験を行った。炭素や窒素の同位体を使い、食物がどのような過程を経て細胞の構成物になるのかを明らかにした。博士論文の主題は、ギ酸、ホルムアルデヒド、メタノールを、完全に還元された状態であるメチル基としてメチオニンに変換する研究であった。葉酸やビタミンB12の補酵素が機能を持つことを最初に証明した1人でもある。博士号の取得後は、1952年から2年間、アメリカがん協会の博士研究員としてコペンハーゲンの細胞生理学研究所やワシントン大学医学部で研究した。ワシントン大学ではアーサー・コーンバーグのもとで研究し、1955年から1959年まで同大学医学部で教えた。1959年にスタンフォード大学へ移って生化学の教授となり、2000年まで教えたほか、ベックマン分子遺伝医学センターの所長も務めた。
最もよく知られるのは、組み換えDNAに関する先駆的な研究である。1972年にSV40ウイルスのDNAを用いて試験管内でのDNA組み換えに成功し、2種の生物のDNAを含む分子を初めてつくった科学者となった。この遺伝子の継ぎ合わせの技術は、現代の遺伝子工学の発展における重要な一歩であり、バーグ自身はこれをウイルスの染色体の研究に用いた。ただ、この成果は科学界に不安を与えた。1974年にバーグらは、危険を評価できるようになるまで一部の組み換えDNA研究を自主的に控えるよう呼びかけ、1975年には、その危険性の評価とバイオテクノロジー研究の指針づくりを行うアシロマ会議の主催者の1人となった。これは予防原則が機能した初期の例といわれる。
1980年、バーグは「核酸の生化学、とくに組み換えDNAに関する基礎的研究」によってノーベル化学賞の半分を受け、残る半分は塩基配列の決定に貢献したフレデリック・サンガーとウォルター・ギルバートに贈られた。ほかに1980年のガードナー国際賞とアルバート・ラスカー基礎医学研究賞、1983年のアメリカ国家科学賞、2008年のアメリカ化学者協会ゴールドメダルなどを受けている。1966年にはアメリカ芸術科学アカデミーと米国科学アカデミーの会員に選ばれ、1992年には王立協会の外国人会員にもなった。1983年のアメリカ国家科学賞はロナルド・レーガンから授与され、同じ年にアメリカ哲学協会の会員にも選ばれた。1986年には国立医学図書館のメダルを、1989年にはアメリカ功績アカデミーのゴールデン・プレート賞を受け、2005年にはバイオテクノロジー遺産賞も贈られている。
2000年以降は研究の第一線を退き、組み換えDNAや胚性幹細胞をめぐる生物医学の公共政策への関与や、遺伝学者ジョージ・ビードルについての著書の刊行に力を注いだ。スタンフォード大学の名誉教授であり、原子科学者会報の後援者会議の一員でもあった。組み換えDNAやHIV-1ウイルスの研究にも取り組み、2023年2月15日に世を去った。