伝記
マシュー・ペリーは、1969年8月19日にマサチューセッツ州ウィリアムズタウンで生まれ、2023年10月28日に亡くなったアメリカとカナダの俳優である。本名はマシュー・ラングフォード・ペリー。カナダ人ジャーナリストで、ピエール・トルドー首相の報道官を務めた母と、アメリカ人俳優の父ジョン・ベネット・ペリーの間に生まれ、両国の市民権を持っていた。両親は彼が1歳の誕生日を迎える前に別れ、母が再婚した後は、おもにオンタリオ州オタワで母のもとで育った。
10歳ごろから素行が荒れ、金を盗み、たばこを吸い、成績も落ちたという。のちにペリー自身は、母が再婚相手との間に子をもうけるようになってから、家族の外側にいるように感じていたためだと振り返っている。アルコールを初めて飲んだのは14歳のときで、18歳の誕生日までには毎日飲むようになっていた。一方でテニスに打ち込み、カナダのトップクラスのジュニア選手となってプロを目指した。しかし15歳でロサンゼルスの父のもとへ移ると競争がはるかに厳しくなり、その道は遠のいた。この移住が演技に興味を持つきっかけとなり、シャーマンオークスのバックリー・スクールで演技を学んで、1987年に卒業した。
1979年に子役として小さな役を得たのが最初のクレジットされた出演で、1980年代にはテレビのゲスト出演を重ねた。1987年のテレビシリーズ『セカンド・チャンス』でデビューしたともされ、1988年には映画『ジミー さよならのキスもしてくれない』に出た。1989年にはドラマ『愉快なシーバー家』で、長女キャロルの恋人サンディを演じた。この役は飲酒運転の事故で死ぬという設定で、放送後には主演のカーク・キャメロンが視聴者に飲酒運転をしないよう呼びかけた。1994年に放送が始まったテレビドラマ『フレンズ』で、主人公の一人チャンドラー・ビングを演じて世界的に知られ、2002年にはこの役で初めてエミー賞にノミネートされた。『フレンズ』は2004年まで続き、その間に映画『愛さずにはいられない』『スリー・トゥ・タンゴ』『隣のヒットマン』なども公開された。『アリー』『ザ・ホワイトハウス』『先生はあきらめない』ではエミー賞の候補となり、『グッド・ワイフ』などにも出演して、2021年の『フレンズ: ザ・リユニオン』が最後のテレビ出演となった。
私生活では長く依存症と闘った。鎮痛剤への依存は、1997年のジェットスキーの事故で負傷した際に処方されたことが発端だった。2001年には歯の痛み止めの中毒でリハビリ施設に入り、その間『フレンズ』の放送や映画の撮影が中断された。2018年にはオピオイドの乱用で腸が破裂し、昏睡状態が2週間続いた。医師は家族に生存確率は2%だと告げたという。依存を断つために費やした費用は700万ドル以上、断酒会への参加は約6000回、リハビリ施設への入所は15回にのぼると語っている。2022年11月には回顧録を出版し、その経緯を明かした。回復後はリハビリを訴える活動にも関わり、2013年にホワイトハウスから「回復の擁護者賞」を受けている。
2023年10月28日、ロサンゼルスの自宅のジャグジーで意識を失っているのが見つかり、死亡が確認された。54歳だった。同年12月、死因は麻酔薬ケタミンの急性作用と発表され、溺水が重なったとされる。2024年8月、ケタミンの入手に関わったとして、医師や秘書、密売人ら5人が訴追された。
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