伝記
トマス・ニューコメンは、1664年2月24日に洗礼を受け、1729年8月5日に没したイギリスの発明家、技術者である。鉱山の排水のために最初の実用的な蒸気機関を建造し、その後の産業革命の動力を担った蒸気機関の実質上の発明者とされる。この機関は、真空と大気圧との差だけを利用するため、大気圧機関と呼ばれることもある。生涯にわたって敬虔なバプテスト信徒であった。
イングランド南西部のデヴォン州に生まれ、父イライアス、母サラのもと、金物商を営む家の5人兄弟姉妹の3番目に育った。1678年頃にエクセターへ金物商の徒弟奉公に出て、1685年頃にはダートマスに戻って家業の金物商となった。コーンウォールやデヴォンの鉱山をしばしば訪れ、鉱山向けの機器の製造・販売が仕事の一部となった。当時の鉱山では坑道に出る水をどう排出するかが大きな問題で、まもなく排水方法の改善に取り組むようになり、同じダートマスのバプテストで配管工・ガラス職人のジョン・コウリーと出会って、共同で排水機関の開発を行った。1705年に農夫の娘ハンナ・ウェイマスと結婚し、3人の子をもうけた。信仰は祖父の代から続き、本人も地元のバプテスト教会の信徒説教者を務め、のちに機関の仕事で地元を離れても、日曜日には説教に専念したという。
彼の機関は、シリンダの中のピストンを、蒸気を冷水で凝縮して作った真空と大気圧の差で押し下げ、ビームと呼ぶ大きなてこを介して坑道の底の排水ポンプを動かすものであった。シリンダとピストンはゲーリケやパパンらが用い、ボイラは大きな醸造用の銅製ボイラそのもの、ポンプ類も鉱山で使われてきたものだった。それらを一つの設備に組み上げたことに特徴があり、蒸気の凝縮に冷水の直接噴射を用いること、弁の開閉を自動で行う工夫などが独自の点とされる。1698年にセイヴァリが発明した「火の機関」とは、ピストンとシリンダで間接的にポンプを動かす点、蒸気の圧力を使わず真空を作るためだけに使う点で大きく異なっていた。
10年余りの思考と実験の末、1710年頃にほぼ完成させたとされる。確認されている最初の成功例は、1712年にスタッフォードシャーのコウニーグリー炭鉱に建造された機関で、シリンダの直径は21インチ、毎分12行程で、1行程あたり約45リットルの水を深さ約47メートルの坑道からくみ上げ、約5.5馬力に相当した。鉱山主たちの間で評判を呼び、各地から訪問者が訪れた。技術史家ロウルトは、これほど短期間にこれほど最終的な形で開発された重要な発明は、技術の歴史でまれだと評している。1720年頃までに、ニューコメンとコウリー父子はイングランドとウェールズの鉱山で5台から7台の機関を建造した。
セイヴァリが「火力によって揚水する装置」という広い特許を1733年まで保持していたため、ニューコメンは自分の機関をセイヴァリ機関として建造・販売せざるをえなかった。彼自身は特許を一つも取っていない。最後の建造は1720年のホイール・フォーチュンの機関で、のちにはロンドンに滞在する日が多くなり、友人エドワード・ウォリンの家で熱病により亡くなったとされる。非国教徒の墓地であるバンヒル墓地に埋葬されたが、墓の正確な位置は不明である。特許期限の1733年までに少なくとも104台が建造され、18世紀を通じた総数は1,500から2,000台にのぼった。1769年にワットが分離凝縮器の特許を取って改良を進めたが、より安価で単純なニューコメン機関も、1770年から1800年にワット機関より多く建造された。
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