伝記
ウァレリウス・マクシムスは、1世紀前半ごろの帝政ローマのラテン語著述家である。古代ギリシアとローマの様々な逸話を集めた『著名言行録』の作者として知られる。この書は『有名言行録』『記憶に値する行為と言葉』とも呼ばれる。
その生涯はほとんど分かっていない。伝わるところでは、家は貧しく、特に目立つ家柄ではなかった。属州アジアの総督を務めたセクストゥス・ポンペイウス(紀元後14年の執政官)に多くを負っており、27年にはその東方への赴任に同行したとされる。ポンペイウスはオウィディウスも加わった文学者の集まりの中心にいた人物で、帝室の皇子ゲルマニクスとも親しかった。ウァレリウスという名は共和政期の名門と同じだが、貴族のウァレリウス・マクシムス家の出であった可能性は極めて低いとする研究者もいる。平民のウァレリウス家の子孫か、共和政期のウァレリウスの庇護でローマ市民権を得た人物ではないか、という見方である。
『著名言行録』はティベリウスに献呈されている。皇帝への追従や、セイヤヌスを非難する文が含まれることから、セイヤヌスが失脚した後のティベリウス在位の末期、すなわち31年から37年に公刊されたと考えられている。皇帝に対する姿勢については評価が分かれる。卑しい追従者とみなす意見がある一方、帝室に関する言及は数も調子も行き過ぎてはいないとする意見もあり、激しい弁論調で語られるセイヤヌス非難の部分だけが誇張に当たるとも論じられた。
全9巻(10巻とする場合もある)からなり、勇気、慈愛、節度、残忍、悪行、前兆、好運といった主題ごとに逸話を並べている。逸話の多くはローマ史から取られ、各節の末尾にはギリシアなど他の民族の話が付されている。弁論家のための逸話集として書かれ、ラテン文学白銀期への過渡期を示す修辞的な文体を持つ。主な原資料はキケロとリウィウスで、サルスティウスやポンペイウス・トログスも用いられた。不正確な逸話もあるが、今は失われた資料に拠ったと思われ、この書にしか伝わらない逸話もある。
中世のラテン世界では、プリスキアヌスの『文法学教程』と並んで広く読まれ、多くの写本が作られた。現存する中世の写本は600を超えるとされ、カロリング・ルネサンス期に校訂された写本も残る。古代史の歴史書としても読まれた。4世紀か5世紀のものとされる、ユリウス・パリスによる抄録も完全な形で伝わっている。1471年にはマインツでペーター・シェッファーが、赤と黒の二色刷りで印刷した。
同じ年に亡くなった人物
- 小マルケッラ (100年(推定))
- Lucius Aelius Plautius Lamia Aelianus (100年没)
- Andronicus of Pannonia (100年(推定))
- 劉盆子 (100年(推定))
- ルデヤ (100年(推定))
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