HISTORICAL PERSON · 100年(推定)没

バルトロマイ

新約聖書に登場するイエスの十二使徒の一人。皮剥ぎの刑で殉教したと伝えられ、ミケランジェロの「最後の審判」には自分の皮とナイフを持つ姿で描かれた。インドやアルメニアで伝道したとされる。

生涯
100年(推定)没
死亡地
—
出生地
—
出典
世界地図
位置情報未登録

伝記

バルトロマイは、新約聖書に登場するイエスの十二使徒の一人である。日本正教会ではワルフォロメイと転写される。名の語義は「タルマイの子」で、タルマイは「沢山の溝を持つ」の意とされ、土地を持つ豊かな人、つまり地主を指すという。記念日は8月24日とされる。

マタイ、マルコ、ルカの共観福音書と使徒行伝の使徒のリストにはバルトロマイとして現れるが、それ以外の記述はほとんどない。この名は父の名に由来する呼び名で実名ではないと思われること、またヨハネによる福音書の使徒のリストにはバルトロマイの名がなく、代わりにナタナエルという人物があげられていることから、バルトロマイの本名はナタナエルだという見方が伝統的にされてきた。今日の研究者の多くも、バルトロマイをヨハネによる福音書に登場するナタナエルと同一人物とみている。

使徒としての後半生は伝承によって語られる。カイサリアのエウセビオスは、昇天の後にバルトロマイがインドへ宣教に赴き、マタイによる福音書の写しを残したと記した。ヒエロニムスも同様に伝えている。両者はいずれも、2世紀にパンタイノスがインドを訪れたと伝えられる話に触れて語っている。ただし、ここでいうインドはエチオピアやアラビア・フェリクスのことだとする反論もあり、研究者のあいだでは長く懐疑的な見方が優勢だった。一方で、コンカン海岸のボンベイ周辺、古代都市カリヤンとも呼ばれた地域が宣教の舞台だったとする研究もある。ほかに、メソポタミアやパルティア、リカオニア、エチオピアで宣教したとする伝承もある。

さらに伝承では、使徒タダイとともにアルメニアへ宣教したとされ、この地方では篤く崇敬される。アルメニア使徒教会の名は、「タダイとバルトロマイによって建てられた教会」を自負することに由来する。1世紀に二人がキリスト教をもたらしたとされ、301年にアルメニア王国は史上初めてキリスト教を公式に受け入れた。この伝承ではバルトロマイはアルメニア使徒教会の第2代カトリコス・総主教とされる。

最期については三つの伝えがある。一つは、誘拐されて殴られ、気絶したまま海に投げ込まれて溺れ死んだという話である。ギリシャ世界の伝承では、アルメニアのアルバノポリスで、現地の王ポリュミオスをキリスト教に改宗させたために殉教したとされる。王の弟アステュアゲス王子が、兄の改宗に怒りローマの報復も恐れて、拷問と処刑を命じたという。ただしポリュミオスという名のアルメニア王の記録はなく、王の名をアグリッパやサナトルクとする伝えもある。皮剥ぎの刑で殉教したともいわれ、ミケランジェロの「最後の審判」には、剥がれた自分の皮とナイフを持つ姿で描かれている。この皮の顔はミケランジェロの自画像になっているという。殉教の地と目される大アルメニアのヴァスプラカンには、13世紀に聖バルトロマイ修道院が建てられた。19世紀の幻視者アンナ・カタリナ・エンメリックの記録では、バルトロマイはまずインドで多くの改宗者を得たのち、エチオピアで王を洗礼に導いたが、旧来の神官の訴えで捕らえられ、皮を剥がれながらも死ぬまで説教を続けたと語られる。名は時代や地域によってさまざまに音写された。ラテン語ではバルトロメウス、イタリア語ではバルトロメオ、スペイン語ではバルトロメ、フランス語ではバルテルミー、英語ではバーソロミューと呼ばれる。日本でもキリシタン大名の大村純忠と田中吉政が、洗礼名にバルトロメオを名乗った。

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