伝記
聖バルバラは、正教会、非カルケドン派、一部の東方典礼カトリック教会で崇敬される聖人である。ニコメディアのバルバラとも呼ばれ、正教会ではイリオポリの聖大致命女ワルワラと称される。建築家や石工、砲手、消防士、鉱夫、囚人の守護聖人であり、3つの窓をもつ塔、棕櫚の枝、孔雀の羽根、剣、聖杯、稲妻、本などとともに描かれる。記念日は12月4日で、ユリウス暦を使う教会では12月17日にあたる。ワルワラという呼び名は、中世以降のギリシア語の読みであるヴァルヴァラが東欧・スラヴに伝わり、教会スラヴ語で転写されたことに由来する。
伝えられる物語では、バルバラはキリスト教が禁じられていた3世紀のローマ帝国で、ニコメディアの富裕な家庭に生まれた。生まれた場所には、フェニキアのバールベックとする説もある。非キリスト教徒の父ディオスコロスは、求婚者たちから美しい娘を遠ざけようとして、彼女を塔の中で暮らさせた。その幽閉生活の中でバルバラはキリスト教の信仰に目覚めた。幽閉中には教師から詩や哲学を学び、教会の学者オリゲネスに使いを送って教えを請うたともいう。塔内に2つの窓のある浴室が建てられることになったとき、窓を3つに増やさせ、その理由を三位一体を表すためと述べたことから、娘がキリスト教徒であると知った父は激昂し、手にかけようとした。
その瞬間、岩が2つに裂けてバルバラを包み、連れ去ったという。しかし彼女を見つけた羊飼いが居場所を父に密告し、その羊たちはイナゴに姿を変えられた。捕らえられたバルバラは、信仰の廉で火で身体を焼かれるなどの拷問を受けたが、翌朝には神がもたらした奇跡で傷が癒え、裸身は白い薄衣で覆われたとされる。12月4日、剣によって殉教し、その父は後に稲妻に打たれて死んだという。別の伝えでは、父自らが山の頂で彼女の首をはねた後、雷に打たれて死んだとされる。
バルバラは十四救難聖人の一人で、発熱や急死から人々を護るとされる。鉱山や火を扱う危険な場所で働く人々の守護聖人であり、イタリアとスペインでは、船や砦の弾薬庫での暴発事故を避けるために聖女の像を置き、弾薬庫自体を「サンタ・バルバラ」と呼んだ。フランスではトンネル工事の際に像を置く。拷問を受けていたバルバラが手折った枝から花が咲いたという逸話から、ドイツやフランスのアルザス地方では、12月4日に桜や杏、リンゴ、レンギョウなどの枝を水にさし、クリスマスの頃についた花の数で幸福を占った。この枝を「バルバラの枝」という。この日に水に浸した小麦がクリスマスに芽吹いた数で翌年の豊凶を占う習慣もあり、これらの麦は「バルバラの麦」と呼ばれた。
遺骸はのちに崇敬を集め、聖遺物はヴェネツィアに移されたと伝わる。1108年にはギリシアの王女バルバラ・コムネナがキエフ公に嫁ぐ際にこれを携え、キエフの聖ミハイル黄金ドーム修道院に納められた。ナポレオン戦争の頃には、ヴェネツィアのブラーノ島の聖マルティヌスの聖堂に移され、今もそこで守られているという。このように広く民間に崇敬された聖人であるが、1568年に教皇ピウス5世がその崇敬を確認したが、カトリック教会は歴史的に実在した証明ができないことを理由に、1969年に聖バルバラを聖人暦から外している。アメリカ、カリフォルニア州のサンタバーバラの地名は、フランシスコ会の宣教師が聖バルバラにちなんで名付けたものである。
同じ年に亡くなった人物
- コンスタンティウス・クロルス (306年没)
- 聖テオドーロ (306年没)
- 聖ディミトリオス (306年)
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