伝記
シャンカラは、8世紀に活躍した中世インドの思想家で、不二一元論(アドヴァイタ)を提唱した人物である。マラヤーリ人とされ、生没年は700年頃から750年頃と記されることが多い。「神の御足の教師」として知られ、アドヴァイタ・ヴェーダーンタ哲学の教義を強化した最初の哲学者であった。後世のシャンカラ・アーチャーリヤと区別するため、初代を指すときにはアーディ(初代)の語を付けて呼ぶ。アーチャーリヤは「先生」の意であり、直訳すれば「シャンカラの先生」となる。スマートラの伝統では、シャンカラはシヴァ神の異名でもある。
生涯の伝記の多くは14世紀以降に書かれたもので、広く引用されるものにヴィディヤーナの『シャンカラ・ビジャヤ』がある。そのため生涯の細部は伝説の色が濃い。伝説では、南インドのケーララ州でナムブーディリというバラモン階級の子として生まれ、シヴァ神の化身として描かれる。幼いころに父を亡くし、5歳でヴェーダ聖典学習の入門式を受け、7歳で師のもとでの学習を終えて、すでに一切知者の状態に達していたといわれる。結婚せずに出家し、ゴーヴィンダに師事した。のちに全インドを遊行して、パドマパーダ、ハスターマラカ、トータカーチャーリヤ、ヴァールティカカーラの4人の弟子を得たという。生地や年代をめぐっては諸説あり、紀元前の人とする説から10世紀とする説まである。ヨーロッパの東洋学者には、8世紀ごろに置く傾向があるという。
シャンカラは、講話や他の哲学者との議論を通して教えを広めるため、インド各地を旅した。正統的なバラモン教の歴史のなかで初めて僧院を建立した人物とされ、東西南北に4つの僧院を創設して、4人の高弟をそれぞれに配置した。総本山はカルナータカ州のシュリンゲーリにあり、ほかに東部のプリー、西部のドヴァーラカー、ヒマラヤ地方のバドリーナート、タミル・ナードゥ州のカーンチに主要な僧院がある。これらの僧院の法主の座は「シャンカラ・アーチャーリヤの座」と呼ばれ、ヴェーダーンタを体得した人でなければ就けないため、空座になることも多い。その座に就く人はシャンカラの化身として尊敬と信仰を集め、現在のインドでも大きな社会的影響力をもつ。伝説では、ヒマラヤ地方のケーダールナータの地で入滅したといわれている。
思想の中心は、原因を必要とせず存立するブラフマン(梵)と、個人の本体であるアートマン(我)は本来同一であるという主張である。目ざしたのは輪廻からの解脱であり、その手段は、『ウパニシャッド』の説くこの同一性の知識であった。現実の日常経験がこの真理と矛盾して見えるのは、知識を会得しない無知(無明)のためであり、肉体を含む現象世界は無明によってブラフマンに付託されたものにすぎず、本来は実在しないと説いた。
著作では、ヴェーダーンタ派の根本聖典に対する現存最古の注釈『ブラフマ・スートラ注解』が主著である。古ウパニシャッドへの注解も真作と考えられ、独立した著作では『ウパデーシャ・サーハスリー』が真作と思われている。300点を超える著作がシャンカラ作とされるが、大部分は偽作と考えられている。仏教の教義を批判した一方で、その思想は仏教との親近性が高いともいわれ、「仮面の仏教徒」と称されることもある。歴史的名声と文化的影響が高まったのは数世紀後、イスラム教徒の侵略とインドの荒廃の時代だと指摘する学者もいる。不二一元論は、現代に至るまでインド思想界の主流をなす教説である。
同じ年に亡くなった人物
- 憲宗 (唐) (820年没)
- ムハンマド・ブン・イドリース・シャーフィイー (820年没)
- テオドロス・アブー・クッラ (820年代没)
- ヴェルフ1世 (アルトドルフ伯) (820年代没)
- レオーン5世 (820年没)
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