HISTORICAL PERSON · 紀元前 287年没

荘子

中国戦国時代の思想家で、『荘子』の著者とされ、道教の始祖の一人ともされる。宋の蒙の出身とされるが、人物像には不確かな点が多い。

生涯
紀元前 287年没
死亡地
—
出生地
—
出典
世界地図
位置情報未登録

伝記

荘子は、中国戦国時代の思想家で、『荘子』の著者とされ、道教の始祖の一人ともされる人物である。生没年は紀元前369年頃から紀元前286年頃とされるが、紀元前369年から290年頃とする説もある。姓は荘、名は周で、字は子休とされるものの確たる根拠には乏しい。曾子と区別するため「そうじ」と濁って読むのが日本の学者の習慣となっている。『史記』には、魏の恵王、斉の宣王と同時代の人と記録されている。出身地は宋の蒙(現在の河南省商丘市民権県)とされ、蒙吏、蒙荘、蒙叟とも呼ばれた。

荘子の人となりについては複数の記述が伝わるが、信頼性に疑義があり、相互に矛盾する記述もあって、詳しいことはわからない。『史記』巻63には荘子の伝があるものの、司馬遷が寓言を多く含む『荘子』から引いたものと推定されている。池田知久はこれを、司馬遷が思想家たちの作ったフィクションを材料にして書いた荘子の伝記と述べている。『呂氏春秋』や『荀子』にも記述が見られるが、いずれも『荘子』の影響を強く受けている。

その思想は、あるがままの無為自然を基本とし、人為を忌み嫌うものである。老子との違いとして、老子には政治色の濃い姿勢が多いのに対し、荘子は徹頭徹尾、俗世間を離れて無為の世界に遊ぶ姿勢で展開される。価値や尺度の相対性を徹底して説き、逆説を用い、日常生活における有用性に批判的であった。代表的な説話が胡蝶の夢である。荘周が夢で蝶となって大いに楽しみ、夢が覚めて、荘周が蝶になった夢を見たのか、蝶が荘周になった夢を見ているのかと問う。この話に、無為自然や万物斉同の考え方がよく表れている。知識についても、人間の言語や認識はそれぞれの視点に条件づけられているとされる。『荘子』至楽篇には、道端のしゃれこうべに同情すると、しゃれこうべに「死んでいるのが悪いとどうしてわかるのか」と答えられる話がある。斉物論篇には、人が美とする美女も、魚が見れば深く潜り、鳥が見れば飛び去り、鹿が見れば走り去るという話があり、普遍的な美の基準はないことが示される。「道」については、無為と同一視される普遍的法則としての道と、万物が生ずる根本的な一者としての道の二種の記述に分けられる。

著書とされる『荘子』は、西晋の郭象が刪訂した内篇七篇、外篇十五篇、雑篇十一篇の構成で現在に伝わる。『史記』には「荘子十余万字」とあり、『漢書』芸文志には五十二篇とあって、もとは現行より多かった。このうち内篇のみが荘子本人の手による原本に近いとされ、外篇・雑篇は弟子や後世の手によるものと見られている。内篇は逆説的なレトリックに満ち、多くの寓話が述べられている。

荘子は孔子を批判しているとされるが、文章をよく読むと孔子をかなり重んじ、儒家の経典もよく読んだ形跡がある。そのため古来、儒家出身ではないかという説があり、蘇軾は『荘子祠堂記』で内容も本質的には儒教だと論じた。郭沫若や白川静は、孔子の弟子の顔回の流れを汲むのではないかと推定している。老荘思想が道教に取り入れられると、荘子は道教の祖の一人として崇められ、唐の玄宗により742年に南華真人の敬称を与えられた。著書も『南華真経』と呼ばれた。荘子は明の馮夢龍の作品や魯迅の「起死」、『今昔物語集』震旦部、岡本かの子『荘子』などにも登場人物として現れる。「庖丁解牛」「無用の用」「井の中の蛙大海を知らず」などの語句が『荘子』に由来し、『三国志演義』の冒頭の「南華老仙」も荘子をさしている。

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