伝記
パルメニデスは、古代ギリシアの哲学者である。紀元前520年頃から紀元前450年頃の人とされ、南イタリアの都市エレアの出身で、論理哲学的・超越思想的な学派であるエレア派の始祖にあたる。初期のギリシア哲学のなかでもっとも深遠で難解な思想家といわれ、自然学や形而上学の発展に決定的な影響を与えたとされる。名門の家柄であり、祖国エレアのために法律を制定したともいわれる。師については、アナクシマンドロスの弟子クセノパネスに学んだとも、ピュタゴラス学派のアメイニアスに師事したとも伝えられる。
著作として現存するのは、ヘクサメトロスという韻文で書かれた教訓詩『自然について』だけで、それも断片として残るにすぎない。題名は本人がつけたものではないと思われる。元は800行ほどあったらしいが、断片をかき集めても160行程度である。詩は、女神の邸宅に招かれるという神話的な導入で始まり、「ある」を主題とする形而上学的な議論へと進む。その後、「光(天の火)」と「夜」の二元素による宇宙論が展開される。形而上学の部分は後代の著述家による長い引用でかなり知ることができるが、宇宙論の部分はほとんど残っていない。
詩のなかで「ある」は、時間を超えて生じも滅びもせず、動かず、分かつことができず、全体が一様なものとされる。一方、「あらぬ」は、無があることは不可能であり、知ることも語ることもできないとされる。パルメニデスは、感覚に頼らず理(ロゴス)によって判断せよと説き、真理の道は理性によってのみ探究できるとし、多様と変化を伴う物理現象は感覚による臆見の道で捉えられる誤りだとした。それまでの哲学者がアルケーや幾何学的対象を考えたのに対し、存在や叙述、理性と経験といった性質や関係を考察の対象にしたため、しばしば形而上学の創始者の一人に数えられる。ただし解釈は現代でも分かれる。「ある」を「存在する」と取る見解が多いが、「〜である」という叙述の意味に取る見解もある。厳格な一元論とみる第一の解釈が古くから有力だった一方、経験される事実と矛盾しないように読もうとする考えも古くからあった。アリストテレスは、一元論にあたる考えを弟子のメリッソスのものとして退け、パルメニデスについてはより深い洞察を持って語っているとした。
エレア派の議論は当時大きな衝撃を与えたらしく、後の哲学者は何らかの形でそれを取り込んだ。弟子のゼノンは、運動が存在しないことを示すために「アキレスと亀」で知られるパラドクスを提起した。レウキッポスとデモクリトスは、エレア派の存在論への応答として原子論を唱え、その考えはエピクロスにも受け継がれた。プラトンは対話篇『パルメニデス』で、若いソクラテスのイデア論の難点を指摘し導く人物としてパルメニデスを描いており、イデア論が深い影響下で成立したことがうかがえる。古代のプラトン主義者はそこにイデア説の原型を見いだした。『国家』の善のイデアや『ティマイオス』のデミウルゴスを通じて、その本質存在の思想はより抽象化され、体系化された形で広まった。アリストテレスの第一質料の概念もエレア派の「有」を思わせ、空虚の否定は原子論への批判であった。その影響はアリストテレスの不動の動者、プロティノスの一者、グノーシス主義、キリスト教神学にまで及ぶとされ、パルメニデスは西洋の超越思想・神秘思想の系譜の元祖に位置づけられる。ディオゲネス・ラエルティオスは、地球が球形で宇宙の中心にあると最初に表明したのも彼だと述べている。
同じ年に亡くなった人物
- レオテュキデス (スパルタ王) (紀元前469年没)
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