HISTORICAL PERSON · 紀元前 83年没

ラリッサのピロン

テッサリアのラリッサ出身のヘレニズム期の哲学者で、アカデメイア派懐疑主義最後の学頭。第一次ミトリダテス戦争を避けてローマへ移り、キケロらに哲学を講義した。

生涯
紀元前 83年没
死亡地
—
出生地
—
出典
世界地図
位置情報未登録

伝記

ラリッサのピロンは、ヘレニズム期のギリシアの哲学者であり、ラリッサのフィロンとも呼ばれる。テッサリアのラリッサに生まれた。生年には紀元前159年または紀元前158年とする説と、紀元前154年または紀元前153年とする説がある。本来の名はフィリオンだった可能性が高いとされる。アテナイへ移ってクレイトマコスに学び、紀元前110年または紀元前109年に、師のあとを継いでアカデメイアの学頭となった。プラトンから続く学頭の継承において、正統な後継者であることに争いのない最後の人物とされる。

思想の上では、師クレイトマコスやカルネアデスと同じくアカデメイアの懐疑主義に属したが、その立場は先人たちより穏健だったと考えられている。確実性を得られなくても、暫定的な信念を持つことは認めた。把握的な表象によって対象を確実に捉えることはできないとしながらも、対象はその本性においては理解可能だと論じたのである。ここでいう理解可能性が、感覚の明証性や一致を指すのか、それとも直接的な精神の知覚というプラトン的な考えを指すのかは明瞭ではない。感覚が示すものを退けない一方、自ら真だと暫定的に考えたことにも反論を求め、再び懐疑の検討にかけようとした。また、人生の究極の目的について確かな確信に到達できることは疑わなかったとされる。

弟子にはアスカロンのアンティオコスがいたが、のちにプラトン哲学をめぐる論敵となった。ピロンはアンティオコスに対し、古いアカデメイアと新しいアカデメイアを分断して理解することを認めなかった。ソクラテスやプラトンにも懐疑的な問いがあり、新しいアカデメイアにも懐疑を越えて真理を認める面があると考えたのである。その活動を新たな段階として区切り、第4期アカデメイアの創始者とする見方もあるが、独立した時期と認めるかどうかは一致していない。

紀元前88年、ミトリダテス戦争の戦禍を避けてアテナイを離れ、ローマへ移った。ローマでは哲学と修辞学を講義し、著名な弟子たちを周囲に集めた。なかでもキケロは最も有名で、熱心にその講義を聴いた人物だった。カトゥルスも教えを受けたローマ人の一人に数えられる。アテナイで学派を率いていた哲学者は、こうしてローマで教える生活を送ることになった。

紀元前84年または紀元前83年に死去したとされる。死後、アカデメイアは互いに対立する諸派へ分かれ、やがて歴史の表舞台から姿を消した。再び活動が盛んになるのは、新プラトン主義の時代を待つことになる。多くの著作を残したが、いずれも散逸し、完全な形では伝わらない。後世には、ヒュームの対話篇に登場する懐疑論者フィロの名が、ラリッサのピロンにちなんで付けられた。

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