伝記
ウィジャヤは、パーリ語で書かれた古代スリランカの複数の年代記において、スリランカ最初の王とされる人物である。タミル語の文献にも名が見える。紀元前483年にスリランカへ上陸してシンハラ王朝を開いたとされるが、その治世は紀元前543年から505年だったと考えられている。最も古い記録は『ディーパワンサ』と『マハーワンサ』に見られるが、ほかの史料は少なく、現存する記述は史実と伝説が混ざったものと見られている。歴史学者のコドリントンは、古代スリランカに対して二度行われた征服についての、それぞれの王の記述が混ざり合い、ウィジャヤとして伝えられている可能性を述べている。
『マハーワンサ』によれば、ウィジャヤの祖母は、ベンガルのヴァンガ王国とオリッサのカリンガ王国に連なる血筋の王女スッパデーヴィーである。ヴァンガ王とカリンガの王女マヤーヴァティーのあいだに生まれた彼女は、獣の王と結ばれるという予言を受けていた。成人すると独立した生き方を求めて国を出て、マガダへ向かう隊商に加わったが、ララ地方の森でシンハ(獅子)に襲われた。逃げた彼女は再びシンハに出会い、予言を思い出して彼をなでたため、シンハに気に入られ、洞窟に囚われの身となって、息子シンハバーフと娘をもうけた。のちに王女と子らが脱出すると、シンハバーフは父のシンハを殺した。この獅子は、近代の解釈のなかには、ジャングルに住む野獣のような無法者の人間だったとみるものもある。
ウィジャヤはシンハバーフの子で、シンハプラの王国を築いたとされる。この国の摂政の王子となったが、悪行のために700人の従者とともにランカへ追放された。『ディーパワンサ』は『マハーワンサ』より古い伝承であり、内容は似ているが、クヴェーニーら夜叉と南インドの王女を省いている。島に着いたウィジャヤと入植者たちは、タンバパンニ付近で夜叉を討ち、先住の人々を追いやった。夜叉の長の娘クヴェーニーと結婚し、その支配を正当化したとも伝わる。『マハーワンサ』では、夜叉の女クヴェーニーは夜叉の都シリサヴァットゥの破壊を助け、ウィジャヤとのあいだに二人の子をもうけた。しかし、正統な王となるにはクシャトリヤの王女を娶らねばならず、ウィジャヤはパーンドゥ王(パーンディヤ朝にあたるとされる)の娘と結婚した。この王は従者たちの妻となる女たちも送ってきた。クヴェーニーは二人の子とともにランカプラの夜叉の都へ去り、裏切りの罪で夜叉たちに殺された。ウィジャヤは跡継ぎのないまま没し、双子の弟スミッタの子パンドゥヴァーサデーヴァがインドから来て、王国を引き継いだ。ウィジャヤの築いた共同体から、シンハラ人が生まれたとされる。
シンハラ人の起源を説く話は四つ伝わり、いずれも一人の王子が島に来て共同体を築く筋立てである。玄奘の記録では、獅子にさらわれた王女は南インドの出身である。息子のシンハバーフは父を殺した罪で船で追放され、宝石の島ラトナディーパに着いた。宝石を求めて来る商人を襲い、その子どもを助けて共同体を作った。子孫は人々を階級に分け、これが身分制度の起こりとなり、戦争を重ねて領土を広げたという。ヴァラーハッサ・ジャータカでは、王子はシンハラという商人で、500人の従者と島へ向かい、難破したところを夜叉の女たちに救われる。長と結婚するが正体に気づき、250人とともに空飛ぶ馬で逃れ、のちに軍を率いて島へ戻り、夜叉を倒してシンハラ王国を建てた。この話はインドのアジャンター石窟の壁画にも描かれている。ただし、ウィジャヤの島渡りの伝承を裏づける考古学上の証拠はない。
同じ年に亡くなった人物
- ヒュダルネス (貴族) (紀元前 500年(推定))
- アドメトス (エピロス王) (紀元前 500年(推定))
- ティトゥス・ラルキウス・フラウス (紀元前 500年(推定))
- アルタプレネス (紀元前500)
- ディオゲネス (アポロニア) (紀元前 500年(推定))
同じ地域に関係する人物
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