伝記
ランプサコスのカロンは、古代ギリシアの記録者で、散文で歴史や民族誌を書いた初期の人物の一人である。叙事詩人と違って散文で書き、公開の朗読の場で聞かせるために、歴史と民族の話題を扱った。故郷のランプサコス(ミュシア地方のギリシア人植民市)やギリシア本土の話題のほか、遠い土地についても書いたとされ、ペルシア、リビア、エチオピアに関する著作が彼の名で伝わる。生年は紀元前500年ごろ、没年は紀元前465年ごろとされるが、はっきりとは分からない。
父の名は伝わっており、ピュトクレスとされる。パウサニアスはピュテアスの子と記しているともいわれ、父の名には異なる伝えがある。ヘロドトスと同じくイオニア方言で書いたといわれ、テルトゥリアヌスはヘロドトスより前の人物だとした。ただし、ヘロドトスより年上か年下かは確定できないという見方もある。古代の文学史がカロンをヘロドトスより前に置いたのは、いわゆる記録者たちを、文体や構成の拙さゆえにヘロドトス以前のものとみなしたからにすぎない、という指摘もある。ヘロドトスがカロンを利用しなかったことは、ある程度確かだと考えられている。
著作の名として、ペルシア誌、エチオピア誌、リビア誌、ギリシア誌、都市の創建、ランプサコス年代記、ランプサコスについて、ヘラクレスの柱の外側の周航記、クレタ誌、ラケダイモン人のプリュタニスたちまたは執政官たちなどが挙がる。このうちペルシア誌は、年ごとの記録の形でペルシア戦争を語り、テミストクレスの人物に焦点を当て、民族誌的な脱線を多く含んだ。二巻だったとされ、語り方はヘロドトスのような本格的な歴史よりも年代記に近いようである。エチオピア誌は四巻とされるが、断片が残るだけである。『境界についての論』からは、アテナイオスを通じて断片が一つだけ届いている。
本来カロンの名を冠した書物は、ランプサコス年代記だけだったと考えられている。この年代記はイオニア方言で書かれ、アルタクセルクセス1世がテミストクレスをランプサコスの領主にした後、つまり前465年から前464年より後に公刊されたはずだとされる。その一方で、前4世紀の初めより前の成立と見られる。ランプサコスの物語や、カルディア人とビサルタイ人の戦争の話、ハマドリュアスの昔話は、こうしたイオニアの都市史の調子をよく伝える例とされる。ほかの題名は、のちにこの原作が抜粋され、好みの変化に合わせて作り変えられたために生じたと説明される。エチオピア誌、リビア誌、クレタ誌、周航記、およびラケダイモン人に関する書は、古いランプサコス人の作ではないという意見もある。
カロンの書は、後世の著作家にもよく引かれた。プルタルコスは女性の徳についての論の中のランプサコスの章でカロンを取り上げ、パウサニアスも『ギリシア記』で彼に言及している。ストラボンも、ランプサコスの出身者としてこの記録者を挙げた。彼の書は民族誌的な脱線で知られている。
同じ年に亡くなった人物
- アドメトス (エピロス王) (紀元前 500年(推定))
- アルテュストネ (紀元前500)
- 西施 (紀元前 500年(推定))
- ディオゲネス (アポロニア) (紀元前 500年(推定))
- ヘロディコス (紀元前 500年(推定))
同じ地域に関係する人物
- ランプサコスのアナクシメネス (紀元前319)
- 白のクレイトス (紀元前318年没)
- アナクサゴラス (紀元前420年代没)
- Miltiades the Elder (紀元前600)
- クラテロス (紀元前321年没)