HISTORICAL PERSON · 578年没

クロンファートのブレンダン

初期ケルト系キリスト教の聖人で、船乗りと旅行者の守護聖人。楽園を求めた7年の航海の伝説で名高く、コロンブスも知っていたという。アナダウンに司教座を創設し、コニー島に修道院を建てた。

生涯
578年没
死亡地
アイルランド(ゴールウェイ県 / Annaghdown)
出生地
アイルランド(Fenit)
出典
世界地図
アイルランド(ゴールウェイ県)

伝記

クロンファートのブレンダンは、初期ケルト系キリスト教の聖人である。484年頃に生まれ、578年頃に没したとされる。聖公会・カトリック教会・正教会で崇敬され、カトリックでの祝日は5月16日、正教会では1月15日である。航海者ブレンダン、旅行者ブレンダンとも呼ばれ、船乗りや旅行者の守護聖人とされる。主として、半ば伝説と化した楽園探索の航海によって名高い。

484年、ブレンダンは現在のアイルランド南西部、ケリー県のトラリー近郊に生まれた。聖エルクによって洗礼を受け、5年間は聖アイタのもとで学んだ。その後、聖エルクのもとでさらに勉学を仕上げ、512年に聖職者となった。512年から530年にかけて、アードファートやブレンダン山の麓に、瞑想のための隠居所を建てたという。ここから7年をかけた有名な楽園探索の航海に出かけたとされ、8世紀の記録では、約束の地への旅に同行したのは60名あまりだったという。

この航海は、9世紀の『航海者聖ブレンダンの旅行』に、祝福された土地ティル・ナ・ノグへの旅として記されている。版は多様で、60名の巡礼を連れて大西洋へ出る話には、のちにフランスのサン・マロ市を建てた聖マロが加わっていたともされる。ほかに14もの変形版があり、アメリカ大陸を発見したという伝説まである。旅の途中で海の怪物に出会い、ジャスコニウスという怪物を撃退したのちに島々へ上陸する冒険が、最もよく描かれる。12世紀のオランダ語版では、ギャロウェーから来た聖職者ブレンダンが、天地創造の奇跡を記した書物を信じず火に投げ込んだ罰として、天使に旅を課される筋になっている。旅の中で彼は、体の半分を凍らされ半分を焼かれるユダや、巨大な魚などに出会う。

7年の航海物語が広まると、巡礼や神学生がアードファートを目指すようになり、数年のうちに多くの宗教的建築が整った。ブレンダンは後にウェールズと聖なる島アイオナ島を訪れ、アイルランドへ帰国して、残りの人生を送ったアナダウンに司教座を創設した。アードファートに司教座が創設されると、トモンドからその座を受け継ぎ、550年頃にコニー島へ修道院を建てた。再びウェールズとアイオナへ向かい、グレートブリテン島で3年間の福音伝道をしてからアイルランドへ戻り、さらに教会を建てたという。

物語が事実に基づくのか創作なのか、到達した祝福の地は実際のアメリカ大陸なのかという疑問は、後世まで論じられた。セント・ブレンダン協会は、彼を最初のアメリカ大陸発見者としている。アイルランド人冒険家ティム・セヴェリンは、革張りのボートで北アメリカに到達できるかを実際に試みた。クリストファー・コロンブスもこの航海譚を知っており、大西洋を横断すればアジアへ行けると考えていたという。この航海譚は、アイルランド発の奇妙な舟の冒険話として文学形式の人気が高く、先に書かれた『ブランの航海』との類似も指摘される。一人で舟に乗って旅をするアイルランド聖職者の姿は、人里離れた房にこもって苦行した初期キリスト教の禁欲的伝統と合致したのである。ブレンダンが訪れたと伝えられる場所は、ケリー県のブレンダン山、スコットランドのアイオナ島、フェロー諸島、アイスランドなど、各地に及ぶ。ドイツ中世の文学にもブレンダンは登場し、13世紀半ば頃の作品では、その頭蓋骨が聖遺物として示される。1510年頃に出版された民衆本では、主人公がブレンダンの遺骨と偽って献金を集める。15世紀末の殉教者伝説集には、人生が良い結末に導かれるよう加護を祈る言葉が見える。

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