HISTORICAL PERSON · 1786年没

カール・ヴィルヘルム・シェーレ

スウェーデンの化学者・薬学者。酸素をプリーストリーとは別に発見し、多数の元素や有機酸・無機酸を見つけた。

生涯
1786年没
死亡地
スウェーデン王国(ヴェストマンランド県 / Koping)
出生地
ドイツ連邦共和国(シュトラールズント)
出典
世界地図
スウェーデン王国(ヴェストマンランド県)

伝記

カール・ヴィルヘルム・シェーレは、スウェーデンの化学者・薬学者である。1742年12月9日、当時スウェーデン領だったポメラニア地方のシュトラールズントに生まれた。父は穀物商で醸造業者、母はマルガレータ・ヴァルネクロスで、家は土地で重んじられた家柄だった。両親の友人から処方箋の読み方や、化学・薬学の記号の意味を教わった。スウェーデンの薬剤師の間ではドイツ語が広く使われていたため、生涯スウェーデン語よりドイツ語を話すことを好んだという。

1757年、14歳でヨーテボリの薬局に徒弟として入り、友人の薬剤師マルティン・アンドレアス・バウフのもとで8年間働いた。この間、夜遅くまで実験を重ね、ルメリーやノイマン、シュタールらの著作を読んだ。のちの理論的な考えの多くは、フロギストン説を唱えたシュタールに基づいていた。1765年にマルメーで薬剤師として働き、のちにストックホルムの化学教授となるアンデルス・ヤーン・レッツィウスと知り合った。1767年から1769年の間にストックホルムに移り、薬剤師として働いたころ、酒石酸を発見している。1770年の秋にウプサラの薬局の実験室の責任者となり、化学教授トルベルン・ベリマンとの友情が芽生えて、その実験室を自由に使えるようになった。

1771年から1772年に軟マンガン鉱を濃硫酸に溶かして加熱し、発生した気体を動物の膀胱で作った袋に蓄えた。ろうそくの火を吹き付けると明るく輝くことを発見し、「火の空気」と名づけた。これが今でいう酸素である。酸化水銀や硝石の加熱でも同じ気体を回収し、1773年には実験をすべて完了した。さらに水素と空気の燃焼実験から、空気が火の空気ともう一種類の気体、すなわち窒素の混合物であることも見出した。ただし、結果をまとめた著書『空気と火について』は1777年まで刊行されず、プリーストリーが1775年に酸素の発見論文を王立協会に提出していたため、現在の酸素の発見者はプリーストリーとされる。後世のアシモフは彼を「不運なシェーレ」と呼んだ。

そのほかにも、多くの発見があった。1773年に骨灰を原料にリンを安く作る方法を見つけ、1774年にはバリウム、塩素、マンガンを発見し、アンモニアの合成も行った。1778年にモリブデンを、1781年にタングステンを発見した。酒石酸、シュウ酸、尿酸、乳酸、クエン酸などの有機酸や、フッ化水素酸、青酸、ヒ酸なども見出した。グリセリンもオリーブ油から発見している。また、現在の低温殺菌法に似た技法も開発していた。1775年2月にスウェーデン王立科学アカデミーの会員に選ばれ、1776年末から1777年初めにヒェーピングで自分の薬局を開いた。1777年10月29日に初めてアカデミーの会合に出席し、11月には王立医学院の薬剤師試験に最高の成績で合格した。

多くの大学から招かれたが学者にはならず、ヒェーピングで研究を続け、1786年5月21日に没した。若死にの原因は、危険な実験条件のもとで研究を進めたためと考えられ、物質を舐める癖があったことから毒にあたったのではともされる。医師は水銀中毒と診断したとも伝えられる。

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