HISTORICAL PERSON · 1798年没

ルイージ・ガルヴァーニ

イタリアのボローニャ出身の医師・物理学者。カエル検流器を発明し、1791年の論文で「動物電気」を提唱、ボルタとの論争を招いた。新政府への忠誠を拒んで地位を失い、ガルバニ電池に名を残す。

生涯
1798年没
死亡地
イタリア共和国(ボローニャ県 / ボローニャ)
出生地
イタリア共和国(ボローニャ)
出典
世界地図
イタリア共和国(ボローニャ県)

伝記

ルイージ・ガルヴァーニは、イタリアのボローニャ出身の医師であり物理学者である。1737年9月9日に生まれ、1798年12月4日に没した。ガルバーニとも表記する。電気磁気学の黎明期に、カエルを用いた電気実験で大きな功績を挙げ、カエル検流器を発明した。結果として誤りだったが、動物電気の発見は、電気化学や電気生理学の分野を生み出すことに貢献した。

当時は教皇領だったボローニャで、金細工師のドメニコ・ガルヴァーニと、バルバラ・フォスキの子として生まれた。兄のフランチェスコとともに、穏やかで豊かな幼少期を過ごしたという。生家は中心部のマルコーニ通りにあり、現存している。家は、ムラトーリが唱えた啓蒙的なカトリシズムの流れにあり、フィリッポ会の司祭たちの教育も受けた。兄が教会法を学んで弁護士になったのに対し、ルイージは医学と哲学を学ぶことを選び、1754年にボローニャ大学の医学校に入った。ベッカーリの教育に深い感銘を受け、物理学教授ガレアッツィの家での解剖実習にも参加した。ガレアッツィは、のちに義父となる人である。1759年に哲学と医学の学位を得た。1762年にはガレアッツィの娘ルチアと結婚し、ルチアは生涯の協力者となった。

ガルヴァーニは、1760年代のバホンらの電気研究や、1770年代の電気が人体に与える影響の発見を踏まえて生まれた、医療電気という新しい分野に興味を持った。解剖したカエルの肢が電気に反応することを利用して、カエル検流器を作り、1780年代、これを用いてフランクリンが1752年に行った凧の実験の追試を試みた。装置に解剖したカエルを取り付け、遠方の雷の性質を調べようとしたとき、雷が落ちなくても、カエルの延髄に取り付けた真鍮のフックと鉄の手すりが触れると、脚が痙攣することを見つけた。条件を変えて追試を重ねたうえで、生体には電気を発生させるしくみがあり、筋肉を動かすのは電気の力だとする説を唱え、動物電気と名付けた。従来、生命力などと呼ばれたものの正体だとした。成果は1791年に論文として発表された。

パヴィア大学の実験物理学教授だったボルタも、この実験を検証した一人である。当初は動物電気説を支持したが、電気の由来が生体以外にあるのではないかと疑い、最終的に、ガルヴァーニが坐骨神経と筋肉を接続するのに用いた金属部分にあたりをつけた。ボルタは1794年にボルタ電堆を、1800年にはこれを改良した最初の化学電池を発明した。科学者の間ではガルヴァーニ説とボルタ説の論争になったが、ガルヴァーニ本人は消極的で、もっぱら甥が擁護者となった。ボルタもガルヴァーニに敬意を示し、化学生成による電気を、自分の名ではなくガルヴァーニ電気と呼んだ。

1797年にナポレオンのイタリア遠征で、傀儡国家のチザルピーナ共和国が成立すると、新政府はすべての大学教授にフランスへの忠誠を誓わせようとした。ガルヴァーニは同僚らとともにこれを拒否し、学術上、公的な地位を失い、経済的支援も凍結された。1798年12月4日、憂鬱と貧困のなかで息を引き取った。動物電気説は、メアリー・シェリーの『フランケンシュタイン』に着想を与えたと考えられている。

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