伝記
アルタバノスは、アケメネス朝ペルシアの政治家である。ヒルカニア地方の出身とみられ、父はアルタシラスとされる。名前は古代ペルシア語のアルタバヌ、「アルタの栄光」にあたる形のギリシア語・ラテン語形で、アルタパノスとも呼ばれる。生年は分からない。
アルタバノスはクセルクセス1世に仕えた側近で、宮廷の最高位の役人だったとされる。その役目は、宰相だったとも、近衛の長だったともいわれる。ペルシア戦争の時代にクセルクセスの戦争大臣を務め、マラトンの戦いやテルモピュライの戦いの頃にも仕えたとする記述もあるが、これには食い違いがある。
紀元前465年前後に、王宮で重大な事件が起きた。クセルクセスの暗殺である。アリストテレスは、アルタバノスがまず王太子ダレイオスを殺し、のちにクセルクセスの復讐を恐れて王をも殺したと述べる。これに対しユニアヌス・ユスティヌスは、アルタバノスには王位への野心があり、先にクセルクセスをひそかに殺してからダレイオスを父殺しの罪で訴え、処刑させたと伝える。クテシアスやディオドロス、ポンペイウス・トログスに基づく説明では、前475年に宦官アスパミトレスとともに陰謀を率いたとされ、王の次男アルタクセルクセスが兄を処刑したのち、メガビュゾスから欺きを知らされてアルタバノスを討ったという。事件の順序は確かではないが、クセルクセスとダレイオスの死によって王座が空いたことは確かである。
その後のアルタバノスの動きも定かではない。自ら王位を奪ったとする話がある一方、若いアルタクセルクセス1世を王に立て、摂政として実権を握ったとする見方もある。いずれにしても、この状態は数か月しか続かなかった。アルタクセルクセスは、戦いのなかで、あるいは不意を突いて、アルタバノスを自らの剣で殺したと伝えられる。アルタバノスは王家と血縁がなかったが、古代の著述家のなかにはペルシアの第6代の王として数える者もいる。ただし、これはほぼ誤りとされる。
事件の背景として、ペルセポリスで見つかった文書から、前467年ごろに飢饉があり、クセルクセスが高官から始めて宮廷の人員を減らさざるをえなかったことが知られる。これが不満を生み、暗殺につながったのではないかともいわれる。ただし、この事件の詳しい経緯は、互いに食い違う古代ギリシア・ラテン語の記述からしか分からず、最も古いクテシアスでも事件の約60年後の著述であるため、アルタバノスが果たした役割を正確に確かめることは難しい。
同じ年に亡くなった人物
- Metrodorus of Lampsacus (紀元前463)