伝記
アポロドロスは、紀元前5世紀の古代ギリシアの画家で、「影の画家(スキアグラポス)」の名で知られる。作品はすべて失われており、生没年を伝える記録も現存しない。紀元前480年ごろに活動していたと記録されている。プルタルコスやプリニウスらの著作に名が見えるが、生涯の詳しいことはほとんど分かっていない。呼び名は書き手によって異なる。大プリニウスは彼を「アテナイのアポロドロス」と呼んだ。このため、アテナイのポリスで活動したと考えられている。プルタルコスやヘシュキオスは、彼の最大の功績にちなんで「影の画家アポロドロス」と呼んだ。
その功績とは、スキアグラフィアと呼ばれる技法である。これは影を容易に描き出す方法で、平行線を重ねる網目状の描き込みによって、陰影と立体感の錯覚をつくり出す。内側の輪郭線を太くすることや、明暗の色調を混ぜ合わせることも用いて、遠近の表現を示したという。この技法は古代ギリシアにおける遠近表現の使い方を広げたが、静止した対象、たとえば衣のひだ、果物、顔などの描写でもっとも効果を発揮した。動きのある身体や、遠近法がふつう使われる空間の描写には向かなかったとされる。この技法は高度に洗練されており、今日でも習得に苦労する人がいるといわれる。題材そのものは当時ありふれたものだったかもしれないが、評判を支えたのは独創的な技法だったという。彼はまた、当時の通例だった壁面ではなく、画架の上に描いた最初期の著名な画家の一人だった可能性がある。
作品の題材は、記録によって知られるものがいくつかある。大プリニウスは『祈る司祭』と『雷に打たれるアイアス』の二点を記録しており、これらは小アジアのペルガモンにあった。ほかに『帽子をかぶったオデュッセウス』、ヘラクレスの子孫を主題にした『ヘラクレイダイ』、『アルクメネとヘラクレスの娘たちがアテナイ人に嘆願する図』と題された作品も挙げられている。題名からすると、多くは当時の他の画家と同様に、神々や叙事詩に登場する英雄を主題としていたと考えられる。プルタルコスは、彼の絵の上に記されていた銘文を伝えている。「私を非難するのはたやすい。だが非難する者は私を直してみよ」という趣旨で、スキアグラフィアは批判するよりまねるほうが難しい、という意味に解される。
同時代の画家との関係も語られている。ヘラクレイアのゼウクシスは、プリニウスによればアポロドロスの競争相手であった。アポロドロスはゼウクシスが他人から技法を盗んだと非難したともいう。ゼウクシスは、陰影に明るい部分を加え、わずかに異なる色を用いてスキアグラフィアを革新したと伝えられる。ゼウクシス自身は、ヒメラのデモフィロスとタソスのネセウスに美術を学んだ人物である。エペソスのパラシオスもこの技法を発展させた。ゼウクシスが光と影の技法を探ったのに対し、パラシオスは空間的な奥行きを表す輪郭線を探究し、その意味をさらに押し広げたという。パラシオスがゼウクシスとの競い合いで、カーテンの絵を本物と思わせて勝ったという逸話もある。
スキアグラフィアの影響はアテナイの外にも及んだ。ギリシア北部のヴェルギナ、アイネイア、レフカディアの墓の絵画に、また現在のブルガリアにあった都市セウトポリスにも広がっている。セウトポリスの墓の壁画には限られた色数のものがあるが、ヴェルギナやアイネイアには6色以上を用いたものもある。
同じ年に亡くなった人物
- ギュリッポス (紀元前 460年(推定))
- Paeonius (紀元前460)
- Choerilus of Samos (紀元前460)
- テレシラ (紀元前460)
- トラシュブロス (シュラクサイの僭主) (紀元前 460年(推定))
同じ地域に関係する人物
- Konstantinos Andreou (2007年没)
- デモステネス (紀元前322年没)
- ディミトリオス・ゴレミス (1941年没)
- ゲオルギオス・パパドプロス (1999年没)
- オデッセアス・エリティス (1996年没)