伝記
ウルフヘレは、七王国時代のマーシア王国の王である。在位は658年から675年で、名はウルファルとも記される。父は強大なマーシア王ペンダで、キリスト教を受け入れた最初のマーシア王として知られる。ただし、いつ、どのようにアングロ・サクソンの異教から改宗したのかはわかっていない。
マーシアは現在のイングランド中部にあたる王国で、初期の王は伝説上の祖イセルにさかのぼり、その王家はイクリング家と呼ばれる。確かな記録が残る最初の王がペンダであった。ベーダによれば、初期のアングロ・サクソンには他の王国に対する宗主権を握った王が七人おり、五人目がノーサンブリアのエドウィンである。エドウィンはブリトン人のグウィネズ王カドワロンとペンダを含む連合軍にハットフィールド・チェイスで討たれた。その後ノーサンブリアはいったんバーニシアとデイラの二つに分かれたが、オズワルドがカドワロンを倒して統一し、南イングランドへの覇権を取り戻した。642年8月5日、ペンダはマーサフェルスの戦いでオズワルドを殺した。ペンダがほかの南部の王たちの宗主と記録されることはないが、この勝利ののち、アングロ・サクソンの王のなかで最も強力になった。オズワルドの死でノーサンブリアは再び二つに割れ、弟のオスウィがバーニシアを、オスリックの子オスウィネがデイラを継いだ。ウルフヘレの母は、ベーダがペンダの王妃として名を記すキュネウィセである可能性が高いが、確実ではない。ほかのペンダの妃は知られていない。生年はわからないが、ベーダは658年の即位時の彼を若者と述べており、十代半ばだったと考えられる。幼いころのことは何も伝わらず、兄にペーダ、弟にエゼルレッドがあり、姉妹にキュネブルとキュネスウィスがいた。マゴンセーテの王メレワルがやはり兄弟であった可能性も指摘される。
655年、父ペンダはウィンウェードの戦いでノーサンブリア王オスウィと戦って戦死した。息子のペーダがオスウィの宗主権のもとで王位を継いだが、半年ほどで殺され、マーシアはノーサンブリアの支配下に置かれた。658年、マーシアの貴族たちがノーサンブリアへの反乱を組織し、オスウィの派遣した総督たちを追い出した。このときウルフヘレが王位に就き、オスウィの南イングランドへの宗主権は終わった。
ウルフヘレは南へ勢力を広げた。ウェセックスに攻め入り、現在のバークシャー、オックスフォードシャー、バッキンガムシャーにまたがるテムズ川上流の谷間を手に入れた。さらに南のワイト島と、現在のハンプシャーにあるミーオン川流域を征服し、これを南サクソン人の王エゼルウォルに与えた。ウルフヘレは、エゼルウォルの改宗の際にその名付け親となり、影響力を持つ義理の親の立場にあったとされる。サリー、エセックス、ケントにも影響を及ぼした。自身はケント王エルコンベルトの娘エオルメンヒルドを妻とした。結婚の年は記録されず、初期の記録には子の記載もない。
670年、宿敵オスウィが没したとき、ウルフヘレは南イングランドで最も強力な王となっていた。660年代の初めからハンバー川以南の宗主として覇権を握ったが、父ペンダのようにノーサンブリアまで支配することはできなかった。674年、オスウィの息子でノーサンブリア王のエクフリスに戦いを挑んだが敗れ、675年に、おそらく病のために死去した。マーシアの王位は弟のエゼルレッドが継いだ。ウィルフリッドの伝記は、ウルフヘレを「誇り高い心と飽くことを知らない意志をもつ人」と描いている。
同じ年に亡くなった人物
- サアド・イブン・アビー・ワッカース (675年(推定))
- Felix of Aquitaine (675年)
- キルデリク2世 (フランク王) (675年没)
- アブドゥッラフマーン・ブン・アビー・バクル (675年)
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