伝記
エドウルフ1世は、717年に没したノーサンブリアの王である。704年12月にアルドフリスが亡くなってから、705年の2月か3月に、アルドフリスの子オスレッドが王位に戻されるまでの短い期間、王位にあった。
父王が死んだとき、オスレッドはまだ幼く、王位を継ぐことのできる男子は彼のほかにいなかった。年長の親族はすでに戦いや内紛で命を落としていたという。エドウルフは、この空白に乗じて王位を奪った簒奪者とされる。その家系はイーダ以来の王家との関係が分かっておらず、王家の血を引いていたのかどうかも不明である。ただ、本流が絶えたのちに、エオッピンガス家の二つ以上の別の系統からノーサンブリア王が出ていることから、王家の出だった可能性は十分にあるとされる。ほかに、デイラ王エセルウォルドの子だったとする見方もある。権力がどのようにエドウルフの手に渡ったのかは分かっていないが、当初は、北東辺境、すなわちロージアンからフォース川沿いを治めていたとみられる伯爵ベルトフリスの支持を得ていたらしい。
しかし、やがて危機が訪れた。アルドフリスに追放されていた司教ウィルフリッドが、ノーサンブリアへの帰還を望んだのである。アルドフリスの遺志も、ウィルフリッドと和解することにあったという。エドウルフはウィルフリッドを亡命先にとどめようとし、帰国すれば命はないと脅したともいわれる。これに対しベルトフリスはウィルフリッドの帰還を支持し、エドウルフのもとを離れた。短い内戦が起こり、バンバラの城塞が包囲されて終わった。勝ったのはベルトフリスとウィルフリッド、そしてオスレッドの支持者たちで、オスレッドは幼い王として復位した。
その後のエドウルフの運命は、はっきりしていない。ダル・リアタか、ピクトの地へ亡命したらしく、その死はアルスター年代記に717年のこととして記されている。息子のエルンウィネは、740年にノーサンブリア王エドベルトの命令で殺された。エドウルフのひ孫エアルドウルフと、その子エアンレッドは、のちにノーサンブリアの王となった。
同じ年に亡くなった人物
- プレクトルード (717年没)
- パオルッチョ・アナフェスト (717年)
- スライマーン (ウマイヤ朝) (717年没)
同じ地域に関係する人物
- シャーロット・クーパー (1966年没)
- コルンバ (597年没)
- ルイス・フライ・リチャードソン (1953年没)
- ジョニー・ダンフリーズ (2021年没)
- ロバート3世 (スコットランド王) (1406年没)