HISTORICAL PERSON · 紀元前404没

セウテス1世

トラキアのオドリュサイ王。叔父シタルケスの後を継いで紀元前424年に即位し、少なくとも紀元前411年まで在位した。

生涯
紀元前404没
死亡地
—
出生地
—
出典
世界地図
位置情報未登録

伝記

セウテス1世は、トラキアのオドリュサイ王国の王で、紀元前424年に王位に就いたとされる人物である。初代の王テレスの孫で、スパラドコスの子にあたる。父スパラドコスは、確実に貨幣を残した最初のオドリュサイ王とされる。セウテスは、先王シタルケスの甥として、その後を継いだ。

トラキア人の古い王の生涯は記録が乏しいが、即位前の動きはある程度伝わる。ペロポネソス戦争のなか、アテナイと同盟していたシタルケスは、マケドニア王ペルディッカス2世の王国に攻め込んだ。しかし冬の厳しさと食糧不足に兵が苦しみ、計画は成果を上げなかった。このときペルディッカスは、王の甥であるセウテスをひそかに味方につけ、自分の妹ストラトニケとの結婚を約束したといわれる。結婚と持参金への期待から、セウテスは叔父に軍を退くよう進言したとされ、この遠征の結果として残ったのは、紀元前429年ごろの和議にともなうセウテスとストラトニケの結婚だけだった。セウテスは、シタルケスの最高位の役人として描かれてもいる。

シタルケスは紀元前424年ごろ、同じトラキア系のトリバロイ人との戦いのなかで殺され、セウテスが後を継いだ。同時代の歴史家トゥキュディデスは、シタルケスが遠征中に死に、甥のセウテスが継いだとだけ記す。ただ、後にマケドニア王フィリッポス2世が、アテナイ人は市民権まで与えたシタルケスが死ぬと、その殺害者とすぐ同盟したと非難したことなどから、セウテスの即位を陰謀の結果とみる研究者もいる。一方で、これは必ずしもそうとはいえないという意見もある。オドリュサイ人が、王の兄弟の家系を優先する継承の原則に従っていたなら、シタルケスの兄らしい人物の子であるセウテスは、シタルケスの息子たちより先に王位を主張できた可能性が指摘されている。

当初はアテナイの友人で、市民権を与えられたともされるセウテスは、即位後、国庫に納められる貢税を引き上げ、王への贈り物を除いて年に約400タラントンの銀や金を集めたという。海岸のギリシア人都市の貢税を倍にしたとも伝わる。トラキアは貢税によって力を増したが、その力をどう使ったかはわからない。ペルディッカスと結んでいたためか、セウテスはアンフィポリスをめぐるアテナイとスパルタの争い(紀元前425〜423年)でも、ペルディッカスに対するアテナイの戦い(紀元前418〜415年)でも、アテナイを助けなかった。これが忠誠によるのか、変化の激しい情勢のなかでの中立か、平和を好んだためか、あるいは支配下の諸民族への統制が弱まって動けなかったためかは、はっきりしない。

紀元前411年には、アテナイに対して成果のない遠征を行ったともいわれる。死んだ時期も明確でなく、重い病ののち紀元前405年に亡くなったとする説もある。トゥキュディデスは彼の死も後継者の登場も記しておらず、紀元前411年以降に亡くなったらしい。紀元前405年、追放中のアテナイの指揮官アルキビアデスは、アイゴスポタモイの海戦を前に、トラキアの王メドコス(アマドコス1世)とセウテスとの友情を他の指揮官に誇った。これを最後の言及とみる研究者もいれば、ここでのセウテスは2世だとみる研究者もいる。後者の見方では、アマドコス1世は紀元前405年までに王位に就いていたと考えられる。セウテス1世は、のちの王ヘブリュゼルミスとコテュス1世の父だった可能性が高いとされるが、コテュスは2世の子とされることも多い。

同じ年に亡くなった人物

同じ地域に関係する人物

該当人物はまだありません。