HISTORICAL PERSON · 1837年没

シャルル・フーリエ

フランスの哲学者・社会思想家で、「空想的社会主義者」を代表する一人。1808年に『四運動の理論』を刊行して「情念引力」の理論を唱え、農業の協同体の建設を提唱したが、同時代にはあまり理解されなかった。

生涯
1837年没
死亡地
フランス共和国(パリ)
出生地
フランス共和国(ブザンソン)
出典
世界地図
フランス共和国(パリ)

伝記

フランソワ・マリー・シャルル・フーリエは、フランスの哲学者、倫理学者、社会思想家で、「空想的社会主義者」を代表する人物の一人である。1772年4月7日に生まれ、1837年10月10日に没した。

1772年、ブザンソンの裕福な商人の家に、3人の姉を持つ一人息子として生まれた。幼年時代から商業そのものに批判的な感覚があったといわれる。しかし9歳のときに父を亡くし、家業を継ぐため、ヨーロッパを移り歩く徒弟修業を強いられた。当時のフランス第二の都市リヨンに落ち着いたが、1793年のリヨン包囲の混乱に巻き込まれて投獄され、相続した財産の多くを失った。このときの悲惨な体験が後の思想につながったといわれ、以来、政治革命に対して根強い不信感を抱くようになった。

その後は雇われ店員や行商人を続けながら、1808年に代表作『四運動の理論』を執筆し、刊行した。この中で、宇宙には物質的、有機的、動物的、社会的という四つの運動があるとし、社会的運動においては、物質世界におけるニュートンの万有引力の法則に匹敵する、「情念引力の理論」を発見したと宣言した。運命については、「万有運動に関する神の数学的諸法則の、現在、過去、未来にわたる帰結である」と考えた。それまでの哲学は、ニュートンやライプニッツが法則を見出した物質的運動の部門までしか到達していないとして、過去の哲学者たちの姿勢を根本から批判し、倫理や道徳の分野で業績を残した学者たちを「誤謬の伝道者たち」と呼んだ。情念引力は「愛の重力理論」とも呼ばれ、12の基礎の情念と、その相互関係にある引力を説くもので、初期から晩年の著作まで一貫し、後に空想的社会主義と呼ばれることになる社会思想の根底を支えた。

この情念引力論に基づき、千数百人から成る農業のアソシアシオン(協同体)、すなわち「ファランジュ」の建設を提唱した。国家の支配を受けず、土地や生産手段は共有とし、数百家族が一つの協同体で共同生活をして、生活に必要なものは基本的に自給自足とする。労働活動を集約して労働時間を短縮する、といった提案であった。中心には、集合機能と集住機能を持ったパビリオンが設定された。後の社会主義・共産主義思想に類型が認められるが、さらに自然的欲望の肯定と、女性の権利の尊重にフーリエ独自の観点がある。背景には、産業革命の勃興期に、国家に庇護された資本家が賃金労働者を搾取し、革命の暴力も貧民や浮浪者、破壊された街を生み出している、という状況があった。しかし、奇抜な著作と理論は同時代人から嘲笑され、一部の熱心な支持者や弟子を除けば、まともに理解されなかった。

1822年に、弟子のミュイロンに急かされて、以前に執筆していた『大概論』の一部を『家庭・農業アソシアシオン論』として上梓した。1829年にはその要約を出版したが、これも多くの読者を得られなかった(当時青年だったプルードンが、この書の印刷所で校訂作業に従事していた)。それでも落胆せず、毎日正午には帰宅して、ファランジュ建設のための資金提供者を待っていたといわれる。晩年はパリで過ごし、弟子たちとエコール・ソシエテールを結成した。

死後の1967年に、シモーヌ・ドゥブーの発見で刊行された『愛の新世界』は、同じノートの草稿をもとにした書である。マルクスらから空想的社会主義として片づけられ、忘れ去られようとしていたが、フランスのシュールレアリスム系の文学者や、20世紀以降の哲学者、思想家によって再評価され、バルト、ベンヤミン、ドゥルーズらが影響を受けた。エンゲルスはフーリエを「偉大な批評家」と評価している。

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