伝記
ニコラ・アペールは、1749年11月17日に生まれ、1841年7月1日に没したフランスの食品加工業者、発明家である。びん詰めによる食品の保存に成功し、容器に密閉して保存する瓶詰・缶詰の祖とされる。熱を加えた食品を密閉して保存する方法を考案し、世界で初めて缶詰工場を作ったとされる。
シャンパーニュ地方のシャロン=シュル=マルヌ(現在のシャロン=アン=シャンパーニュ)で、旅館を営むマリー・ユエとクロード・アペールの九番目の子として生まれた。兄たちとともに、父の旅館の仕事を習い、幼い頃から料理人や菓子職人の仕事と、食品の保存の方法に親しんだ。父は、彼が修業に入る頃、20室ほどの旅館を手に入れたが、その地下の酒蔵はシャンパンで評判だった。1772年に、シャンパーニュの酒蔵で実習し、兄弟とともに開いた醸造所がうまくいかなかったあと、国外に出て、ドイツのドゥー・ポン公やフォルバッハ伯爵夫人の城で料理人として仕えた。1784年に、フォルバッハを離れてパリに出ると、ロンバール通りに菓子の店を開いた。1785年にエリザベート・ブノワと結婚し、1男4女をもうけた。店は小売りから卸売りに発展し、6人を雇って、ルーアンやマルセイユにも取引先を持つようになった。
1789年からフランス革命の運動に加わり、1794年までロンバール地区の議長となり、3か月間、投獄された。裁判は受けなかったが、友人二人が書記官を買収して助けたとされる。ロベスピエールの失脚後に釈放され、菓子の商売に戻った。当時の菓子職人は、甘い菓子を作るだけではなく、ワイン、酢、油、アルコール、脂肪などに漬けて、ある程度長く保存できる食品の製造まで手がけていた。当時の保存の方法は、古くて費用がかかり、効果も不十分だった。味が変わり、費用がかさみ、栄養が乏しくなる塩漬けや乾燥、燻製などの欠点に注目した彼は、容器を密閉して食品を加熱すれば、発酵を止められ、保存を妨げる発酵の原因が熱で破壊されるのではないかと考えた。すでに1790年に、缶詰化の方法を確立していたとされ、これはパスツールが低温殺菌法を科学的に裏づけるより、60年前のことである。
美食家のグリモ・ド・ラ・レニエールに励まされて、イヴリー=シュル=セーヌに工場を開き、方法を改善した。1802年には、マシーに、世界初の缶詰工場を作り、10人、のちには50人ほどの女性従業員を雇った。1804年に「細長いびんや広口のびんにあらかじめ調理した食品を詰め、コルクでゆるく栓をして、湯煎なべに入れて沸騰加熱し、30分から60分後、びん内の空気を除いて、コルク栓で密封する」製法を考案した。1806年に産業博覧会で缶詰を初めて展示したが、審査員は発明に触れなかった。最初の顧客はスカンジナビアやロシアの人々で、まもなく、壊血病に苦しむ船乗りも関心を持った。海軍の艦船での試験は成功し、1808年には、英仏海峡と大西洋沿岸に9か所の保管所を持っていた。そこで政府に知らせ、賞を求めて内務大臣に手紙を書いた。こうしてナポレオン政府が新しい食品貯蔵法に懸けた懸賞に当選し、1万2千フランの賞金を得た。1808年に、フランス産業振興連盟に、この方法で作ったびん詰めのミルク3本を提出し、6年後の1814年に開封して試飲されると、方法の正しさが認められ、「アペール法」と名づけられた。1841年にマシーで死去した。享年91。2004年には、日本缶詰協会が、発見から200年を記念して、当時のレシピに基づき、ポトフやコンソメなどを復元した。
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