HISTORICAL PERSON · 紀元前393年没

アエロポス2世

アルゲアス朝のマケドニア王。幼いオレステスの後見人として共同で即位し、紀元前396年に彼を殺して単独の王となった。スパルタ王アゲシラオス2世の偽装の騎兵に驚き、領土通行の条約に調印したと伝わる。

生涯
紀元前393年没
死亡地
マケドニア王国(中央マケドニア / マケドニア王国)
出生地
—
出典
世界地図
マケドニア王国(中央マケドニア)

伝記

アエロポス二世は、古代マケドニア王国のアルゲアス朝の王である。紀元前393年ごろに病死し、在位は紀元前396年から同393年とも、紀元前398年あるいは397年から没年までともされる。ディオドロスは在位を六年と記している。アルケラオス二世の名を名乗ったかもしれないともいわれる。

出自には諸説がある。ペルディッカス二世の子で、先王アルケラオス一世の異母兄弟、つまりその子オレステスの叔父にあたるとする説が有力で、研究者の多数もこれに従っている。この場合、アエロポスは王家の一員だったことになる。一方、リュンケスティス地方の侯家の出で、王家に婚姻で連なったことが、のちに摂政となる足がかりになったとする少数意見もある。ペルディッカス二世の時代にアテナイとの条約に署名した人物と同一だとする見方もあるが、確かなことは分からない。

紀元前400年から399年にかけて、アルケラオス一世がクラテロスに殺害された。後を継ぐことになったのは子のオレステスだったが、まだ幼かったため、アエロポスが後見人として政務を預かり、共同で王位に就いた。やがてアエロポスはオレステスを亡き者にして単独の王となった。ディオドロスはこれを殺害と伝え、時期はオレステスが王となってから三年後ごろとされる。ただし、実際にはマケドニア貴族の支持を得ただけだった可能性も指摘されている。年代記作者の伝えでは、オレステスの治世は三年、アルケラオスの名を用いたアエロポスの治世は四年とされ、ディオドロスとは数字が異なる。

治世について分かることは多くないが、紀元前394年にスパルタ王アゲシラオス二世との出来事があった。アゲシラオスはペルシア遠征から戻る途中で、マケドニアの領内の通行を求めた。アエロポスは拒んでスパルタ軍を撃退すると宣言し、相手に騎兵が少ないと知って自ら騎兵を率いて出撃したという。これに対してアゲシラオスは、歩兵を前に出し、その後ろにロバやラバ、老いた馬に騎兵の装備をつけた者を乗せて、騎兵が大勢いるように見せかけた。大部隊と見誤ったアエロポスは驚き、通行を認める条約に調印したと伝えられる。別の伝承では、アゲシラオスの傲慢な態度に気圧されて通行を許したともされる。

アエロポスは病に倒れ、紀元前394年から393年にかけての夏に世を去った。オレステス殺害から三年後のことだとも伝えられる。子にパウサニアスがいて王位を継いだが、およそ一年のうちに、アミュンタスという者の裏切りで倒れたとされる。王位はパウサニアスではなく、大叔父メネラオスの子とも思われるアミュンタス二世が継いだとする説もあり、記述は一定しない。

同じ年に亡くなった人物

同じ地域に関係する人物