伝記
アリストパネスは、古代アテナイの喜劇詩人であり風刺詩人である。生年は紀元前457年頃とも445年頃ともいわれ、没年は紀元前385年頃とされる。作品以外の経歴はあまり詳しく伝わっていない。アテナイ市内のキュダテナイオン区に生まれ、父はピリッポスといった。両親は紀元前430年頃、アテナイに近いアイギナ島へ入植した者だったらしいとも言われる。その作品は、ペリクレスの下で栄えたアテナイの黄金期と、長く暗いペロポネソス戦争の時代に重なり、古い喜劇の姿を今に伝える唯一のまとまった作品群である。
劇作家としての修行は紀元前430年から428年頃に始まったとされ、ごく若くして舞台に立った。最初の3作は匿名で、あるいは他人の名で上演された。政治への鋭い風刺を始めていたため、反撃を受ける危険を承知していたのだという。『アカルナイの人々』はカリストラトスの名で上演され、紀元前425年のレナイア祭で1位となった。翌年の『騎士』でも同じ祭で1位となったが、この作品は民衆指導者クレオンを痛烈に面罵したものだった。クレオンは彼を告訴すると脅したと伝えられ、攻撃を控える約束をして訴えが取り下げられたと考えられている。紀元前426年の『バビュロニア人』の際にも、クレオンが国家転覆罪の告訴を起こしたとする説があるが、確証はないともされる。紀元前423年の『雲』は、大ディオニュシア祭で3位にとどまった。
ペロポネソス戦争には一貫して批判的で、『女の平和』のように直接に戦争へ反対する作品もある。実在の同時代人を取り上げることが多く、とくにエウリピデスは何度も登場した。エウリピデスの悲劇『ヒッポリュトス』の台詞「舌は誓ったが心は誓わない」も繰り返しもじられている。『女だけの祭』には、女性蔑視のために女の敵と目され、殺されまいと策を弄する人物が戯画化されて出てくる。『雲』のソクラテスは、直接の批判というより、ソフィストの代表として扱われたものである。『蛙』では、アイスキュロスとエウリピデスの詩を材にとり、パロディーを交えた優れた文芸批評に仕上げた。生涯に44の喜劇を書いたが、完全な形で伝わるのは11篇にとどまる。
プラトンの『饗宴』には宴の参加者の一人として登場し、人間がもとは二つの半身がつながった存在だったとする、男女両性者(アンドロギュノス)の話を語る。この作中には彼が戯画化されたともとれる箇所があり、師ソクラテスを『雲』でからかわれたことへの仕返しとする見方もあるが、プラトン自身は彼を評価しており、話の流れを考えてのことと解されている。また、アリストデモスの言によれば、宴の終わりにソクラテスは彼とアガトンに、一人の作者が喜劇と悲劇の両方を書きうると認めさせようとし、二人は答えに窮して寝込んでしまったという。
私生活は不明な点が多いが、伝承では三人の息子がいた。ピリッポス、アラロス、ニコストラトスで、三人とも喜劇に関わったとされる。アラロスは紀元前387年のディオニュシア祭で、父が書いた『コカロス』によって優勝したという。現存する作品は、紀元前425年の『アカルナイの人々』から、『騎士』『雲』『蜂』『平和』『鳥』『女の平和』『女だけの祭』『蛙』を経て、紀元前392年の『女の議会』と紀元前388年の『福の神』に至る11篇である。彼は大ディオニュシア祭の競演にたびたび入賞した、当時を代表する喜劇作家であった。
同じ年に亡くなった人物
- フィロラオス (紀元前385年没)
同じ地域に関係する人物
- Jimmy Makulis (2007年没)
- ピロストラトス (240年代没)
- コンスタンディノス・デメルジス (1936年没)
- フィレモン (紀元前262)
- コンスタンディノス・ゲオルガコプロス (1973年没)