伝記
ボジェナ・ニェムツォヴァーは、1820年2月4日にオーストリア帝国のウィーンで生まれ、1862年1月21日にプラハで没したチェコの小説家である。近代チェコにおける散文の創始者とされ、チェコ民族再生運動を代表する人物の一人でもある。また、チェコの500コルナ紙幣には彼女の肖像が描かれている。父はドイツ人のヨハン・パンケル、母はチェコ人のテレジエで、両親は貴族ザガン公爵夫人のもとに仕える御者と召使いだったとされる。ただし出生には諸説があり、実の父を貴族とする噂や、養女だったとする説も語られてきたが、確かなことは分かっていない。
少女時代の5年間は、ラチボジツェ村で母方の祖母マグダレーナ・ノヴォトナのもとで暮らした。この祖母から受けた大きな影響は、のちに代表作となる長編『おばあさん』に表れている。1837年、17歳のときに、15歳年上の税関吏ヨセフ・ニェミツと結婚し、のちに4人の子をもうけた。ヨセフは反オーストリア的な思想の持ち主で、そのため度々転勤を命じられ、最終的にはプラハに落ち着いた。夫の転勤で各地を回るたびに、ニェムツォヴァーはチェコの文壇に触れ、民話に関心を寄せて、1845年ごろに『民話集』を著した。友人の作家ヴァーツラフ・ボレミール・ネベスキーやカレル・ヤロミール・エルベンとともにチェコ民族主義の運動に加わり、1848年の民族の春のあとには政治的な圧迫を受け、夫も職を追われて一家は生活の糧を失ったという。生涯を通じて生活は貧しかった。
そうした苦しみのなかで、1850年代には『民話・伝説集』やスロバキアの昔話の集成などを世に出した。1855年には代表作『おばあさん』を発表し、一躍有名になった。この作品は、田舎で祖母とともに暮らす少女バルンカの日々を描いたもので、平凡な祖母の楽観的な気質と生涯をロマンティックに描いている。民衆の言葉に基づきながら変化と生気に富んだ文体をもち、チェコの国民であれば読まない人はいないと称されるほど、チェコ文学で最も広く読まれた作品の一つとなった。執筆は1854年に仕上がったとも伝えられ、ほかの作品に『山村』(1855年)、『野生のバーラ』(1856年)、『城と城下で』(1858年)、ハンガリーやスロバキアを題材にした紀行文などがある。日本では、チェコ文学者の栗栖継が翻訳し、1971年に岩波文庫から刊行された。栗栖はこれをチェコ最大の国民文学と評している。
ニェムツォヴァーは婦人解放運動の先駆者としても名高い。夫のヨセフと反オーストリア的な思想を共有したために迫害され、貧しさから抜け出せなかった。子の一人は、教師を務めるかたわら園芸家として活躍した。迫害と貧困のなかで1862年1月21日に、41歳でプラハに没した。死因は癌とされ、遺骨はヴィシェフラドの墓地に納められている。小惑星(3628)ボジュ・ニェムツォヴァーは彼女にちなんで命名された。また、彼女が書いた3編のシンデレラ物語を原作とする1973年の映画『灰かぶり姫の三つの願い』が作られている。『おばあさん』はフランス語にも1961年に訳され、エルベンとの共著を含む童話集の仏訳も出ている。
同じ年に亡くなった人物
- ロバート・ノックス (1862年没)
- ウィレム・ヘンドリック・デ・フリース (1862年没)
- クリスティアン・フリードリヒ・レッシング (1862年没)
- ミハイル・オストログラツキー (1862年没)
- プロスペル・メニエール (1862年没)
同じ地域に関係する人物
- ヴァーツラフ2世 (ボヘミア王) (1305年没)
- エミル・フランチシェク・ブリアン (1959年没)
- ヤン・スィロヴィ (1970年没)
- アロイス・ハーバ (1973年没)
- カレル・サビナ (1877年没)