HISTORICAL PERSON · 844年没

Raedwulf

ノーサンブリアの短期間の王。エアンレッドの子エゼルレッドが廃された後に即位し、硬貨が知られるが、異教徒との戦いで死んだという報告のほか記録はない。治世は858年頃と考えられている。

生涯
844年没
死亡地
イギリス連邦(ダラム / Elvet)
出生地
—
出典
世界地図
イギリス連邦(ダラム)

伝記

レドウルフは、9世紀にごく短いあいだノーサンブリア王国を治めたアングロ・サクソンの王である。レドルフ、レドウルフなど、さまざまな綴りで呼ばれる。現存する史料に記された言及はわずかで、生年も出自も伝わらない。ただ、のちに王となるオスバートやエッラの親族であった可能性が指摘されている。有力な貴族の家の出だったともいわれ、オスバートは息子か兄弟だったとする説もあるが、確かなことはわからない。

レドウルフが王となったのは、エアンレッドの子エゼルレッド2世が王位を追われたときである。13世紀の年代記作者ロジャー・オブ・ウェンドーヴァーの『歴史の花』は、その即位を844年のこととして記した。歴史家のD・P・カービーは、ノーサンブリアで権力を求めた貴族たちを支援していた、メルシアの有力な支配者たちの後援で王位に就いたのではないか、という仮説を立てている。メルシアの支配者たちは、エアルドウルフの子孫との争いのなかで、そうした貴族たちを助けていたという。

統治の事実は、レドウルフの名を刻んだ貨幣の発見によっても裏づけられる。レドウルフが鋳造したスティカ(銀の含有量がきわめて低い小さな貨幣)は、材質が悪く、真鍮の通貨と呼べるほどだったという。それでも、短い治世にもかかわらず80枚を超えるスティカが現存している。レドウルフはさらに銀の含有量を下げ、貴金属がほとんど残らなかったともいわれる。

その最期について伝わるのは、異教徒、すなわちヴァイキングと戦って死んだという記述だけである。戦いの場所はアルッテリアといい、現在のダラム近郊のエルヴェットにあたるとされる。王位に就いてからわずか数か月、あるいはその年のうちのことだったという。レドウルフの死後、エゼルレッド2世が王位に復帰した。この点は、貨幣の証拠と文字の記録の双方が一致している。

治世の年代には、844年とする説と858年とする説がある。年代記の年代づけは必ずしも信頼できず、エアンレッド王の貨幣が様式の面から850年ごろのものと判断されたことで、9世紀のノーサンブリアの統治者たちの在位が見直された。その結果、現在ではレドウルフの治世は844年ではなく858年ごろだと考えられている。

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