伝記
ジェドヘテプラー・デドゥモセ1世は、第2中間期のエジプトの王である。キム・ライホルト、ダレル・ベイカー、エイダン・ドドソン、ダイアン・ヒルトンらは第16王朝の王とみる。これに対し、ユルゲン・フォン・ベッケラート、トーマス・シュナイダー、デートレフ・フランケは第13王朝の王と考える。
この王の名は、1908年7月にエドフのテル(遺丘)の南部で見つかった石碑に見える。石碑の持ち主は「王の息子」で司令官のコンスエムワセト(「コンスはワセトにいる」の意)である。ただし、彼が実際に王の子だったのか、「王の息子」が実子に限られない称号にすぎないのかは分かっていない。第2中間期にはデドゥモセの名をもつ王がもう一人、ジェドネフェルラー・デドゥモセ2世がいる。デドゥモセという名が珍しいことから、2世は1世の子であった可能性があるとされる。
デドゥモセの名を挙げながら即位名を記さない遺物もいくつかあり、どのデドゥモセのものか決めにくい。たとえばエドフ出身の官人ハルセケルの石碑は、「王の息子」ハルセケルが、「王の息子」ソベクヘテプの子であり、デドゥモセという王と関わると述べている。ドドソンとヒルトンはこの王をデドゥモセ1世とみる。ただしジュリアン・シエスは、これらの遺物を2世のものとする。
年代の位置づけも定まらない。トリノ王名表の第8欄21行には、名が「-メス」で終わる王が記されており、この王と同一視されることが多い。ベッケラートらは第13王朝の末に置き、2世と同一人物とみる。シエスも第13王朝とするが、2世とは別の王とする。ライホルトは第16王朝に置く。正確な年代は不明で、第13王朝の王なら在位は紀元前1690年ごろに終わったとみられ、第16王朝の王なら、紀元前1588年から紀元前1582年のあいだ、王朝の最後の数年間かもしれない。
ライホルトは、ヒクソスに領土を侵されたこの王が、和を乞おうとしたと考える。「ラーの平和は確固としている」「平和をもたらす者」「両国を救う者」といった王名がその手がかりとされる。