HISTORICAL PERSON · 紀元前1700没

セベクヘテプ7世

第二中間期の古代エジプトの小王で、在位は2年と短い。テーベのカルナク神殿で見つかった遺物やカルナク王名表に名が残る。「王の息子」の称号をもつベビとソベクヘテプが子だった可能性がある。

生涯
紀元前1700没
死亡地
—
出生地
—
出典
世界地図
位置情報未登録

伝記

メルカウラー・ソベクホテプは、古代エジプトの第二中間期に在位した小王の一人である。中王国と新王国のあいだにあたるこの時代は、気候の変化や社会経済上の問題が政治の混乱を招き、各地に王位を名乗る者が並び立った時期とされる。第13王朝の王に数えられるが、その年代上の位置ははっきりしない。ソベクホテプ7世と呼ばれることもある。

在位はわずか2年であった。ほかの王との関係や王位継承の経緯も明らかでなく、彼自身が王位を継ぐ権利を示す証拠も残していない。確かな記録は少なく、おもに上エジプトのテーベにあるカルナク神殿から見つかった品々が知られるのみである。これらは彼がカルナクで統治したことを示すのかもしれないし、略奪品としてカルナクへ持ち込まれたのかもしれない。品の一つは地方神アメンに言及し、別の一つは南の町ネケンの「口」と呼ばれる役職に触れている。出所のわからない聖甲虫形の印章も、彼の名を伝えている。

同時代の遺物として重要なのは、アメンに捧げられた2体の座像である。いずれももとはカルナクにあり、一方はカイロのエジプト博物館、もう一方はルーヴル美術館に収められている。ルーヴルの像は薔薇色花崗岩の座像で、王名が刻まれている。カイロの像も花崗岩の座像で、王名のほか、「王の息子」「役人」「ヒエラコンポリスの口」の肩書を持つベビとソベクホテプの2人の名が記されている。この2人は王の息子だったとも考えられるが、すでに成人して複数の肩書を持っており、王の在位が短いことを思えば、王家の生まれではなかったか、別の王から肩書を得た可能性もある。ベビについては、ボローニャの碑文や、カイロの石碑に「王の長子」「真の王の息子」として現れる可能性も指摘されている。

王名のうち即位名メルカウラーは「ラーの愛するカーたち」の意とされ、ソベクホテプという個人名はワニの神ソベクと「平安」を合わせたものである。この名は第12王朝のころから一般に広まり、第13王朝では複数の王の名となった。ホルス名などは伝わっていない。

後の新王国時代には、トトメス3世期のカルナク王名表と、ラムセス2世期のトリノ王名表に名が載っている。カルナク王名表では42番(または45番)に「メルカウラー」とあり、年代順の並びではなく、選ばれた王だけが載る表である。トリノ王名表では8欄8行に即位名と個人名がそろって記され、在位は2年と数か月、4日とされる。直前はセワジュカラー・ホリ、直後は欠損で、この先の第13王朝の王の順序は大きな欠落のため不確かである。王朝内での順位は研究者により異なり、ベイカーは37代目、ライホルトは38代目、フォン・ベッケラートは32代目とする。治世は前17世紀半ばの前1664年から前1663年ごろとする見方がある一方、ドイツのエジプト学者シュナイダーは前1646年から前1644年と推定している。中エジプト、おそらく上エジプトの一部を治めたと考えられる。

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