HISTORICAL PERSON · 1874年没

アドルフ・ケトレー

ベルギーの数学者・天文学者・統計学者で、「近代統計学の父」とも称される。社会物理学を提唱して「平均人」の概念を示し、ボディマス指数(ケトレー指数)を提案した。ブリュッセルに天文台を創設した。

生涯
1874年没
死亡地
ベルギー王国(ブリュッセル / ブリュッセル市)
出生地
ベルギー王国(ヘント)
出典
世界地図
ベルギー王国(ブリュッセル)

伝記

ランベール・アドルフ・ジャック・ケトレーは、1796年2月22日に生まれ、1874年2月17日に没した、ベルギーの数学者、天文学者、統計学者、社会学者である。社会学に統計学的な方法を導入し、「近代統計学の父」とも称される。生まれたのは、当時フランス第一共和政の一部だったゲントである。父はフランスのアムの出身で、若いころにイギリスへ渡って帰化し、スコットランドの貴族の秘書としてヨーロッパを旅したのち、三十一歳でゲントに落ち着き、フランソワーズ・アンヌ・ヴァンデルヴェルデとの間に九人の子をもうけた。アドルフは五番目で、七歳のときに父を亡くした。

ゲントのリセで学び、十七歳で中等教育を終え、十九歳で数学を教え始めた。1819年にゲント大学から数学の研究で博士号を授与され、同じ年にブリュッセルへ移って、アテネ(高等学校)の教師となった。ベルギーの為政者や実業家を説いて天文台の建設を訴え続け、ブリュッセルの天文台は1828年に完成した。1820年に王立アカデミーの会員となり、のちに王立天文台の台長を務めた。1823年にはパリで天文学を学び、経験を積んだが、滞在は長くなく、すぐにブリュッセルに戻った。1825年に音楽家で、地元の尊敬される医師の娘と結婚し、のちに天文学者となる息子エルネストなどの子を得た。1834年には王立科学・文芸・美術アカデミーの終身書記に選ばれた。

当時、新しい研究分野の確率論と統計学は、最小二乗法などの形で主に天文学に応用されていた。ラプラスは確率論を社会研究にも応用することを考えていたが、ケトレーはこの着想にもとづき、「社会物理学」の名で研究を始めた。目標は、犯罪率、結婚率、自殺率などの統計学的な法則を理解し、他の社会的要因の変数から説明することにあった。この発想は自由意志の概念に反するとして、当時の学者の間に議論を呼んだ。それでも、十八世紀以来の「神の秩序を数学的に明らかにする」という思想ではなく、個人の行動にもとづいて科学的な法則性を追究した点に功績がある。

代表作は1835年の『人間とその能力の発展について――社会物理学の試み』で、社会で正規分布の中心に位置して平均的な測定値を示す「平均人」の概念を提出した。1869年の『社会物理学』などもあり、十九世紀後半の社会統計学に強い影響を与えた。犯罪を「犯罪者の悪意」によるものとは考えず、社会的・状況的な要因が平均人を犯罪に導くと考え、統計と人口の分析から犯罪の原因を社会の中に探った。社会的データだけでなく身体的データも研究し、人の身長に対する理想的体重と実際の体重を比べる指数、のちのボディマス指数(ケトレー指数)を提案して、公衆医学にも貢献した。

1839年に王立協会の会員に選ばれ、1841年に中央統計委員会の初代委員長となり、1850年前後にはベルギー政府の統計実務に関わって国勢調査を指導した。1850年にスウェーデン王立科学アカデミーの外国人会員に選ばれ、統計学の雑誌と学会を創立するなど、統計学者間の国際的な協力に熱心で、1853年の第一回国際統計会議の開催を助けた。1855年に脳卒中を患い、完全には回復しなかったが、活動を続け、1874年にブリュッセルで亡くなった。

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