HISTORICAL PERSON · 紀元前342年没

アリュバス (エピロス王)

紀元前4世紀中頃のエピロス、モロシア人の王で在位は前370年から前342年。兄弟のネオプトレモス1世と王位を争った後に共同統治で和解し、前342年にマケドニア王ピリッポス2世に王位を追われた。

生涯
紀元前342年没
死亡地
ギリシャ共和国(アッティキ / アテナイ)
出生地
アルバニア共和国(エピルス)
出典
世界地図
ギリシャ共和国(アッティキ)

伝記

アリュバスは、紀元前4世紀中頃のエピロスで、モロシア人の王だった人物である。アリュンバスやアリバスなど表記に揺れがある。在位は紀元前370年から紀元前342年とされ、紀元前342年に没したともいわれる。エピロスの王家はアイアコス家(エアキダイ)と呼ばれる系統に属する。

アリュバスは先代の王アルケタス1世の子で、ネオプトレモス1世の兄弟である。アルケタス1世の死後、二人の息子は王位を争ったが、のちに和解して共同統治に同意した。パウサニアスによれば、王位を分け合うのはエピロスの歴史で初めてのことだった。紀元前370年から紀元前360年ごろまでは兄弟の共同統治で、その後は単独の王となったとされる。ネオプトレモスの死後、アリュバスはその娘トロイアス(トロア)を妻に迎え、アルケタス2世とアイアキデスの二人の子をもうけた。アルケタス2世は乱暴で手に負えない性格だったため、アリュバスは息子のアルケタスを追放した。もう一人の子アイアキデスは、のちにエピロス王となり、ピュロスの父となった。つまりアリュバスはピュロスの祖父にあたる。

アリュバスは在位中、ピリッポス2世のもとで勢いを増すマケドニアに向き合わねばならなかった。ネオプトレモスの娘オリュンピアスがピリッポスと結婚したことで、アイアコス家とマケドニア王家のあいだに同盟が結ばれたが、それは次第にマケドニアの保護国に近い関係へと変わっていった。紀元前351年にはマケドニアとの国境地帯の領土を譲らねばならず、主権の一部も失ったらしく、貨幣の鋳造をやめた。ピリッポスは、アリュバスの甥でオリュンピアスの兄弟であるアレクサンドロスを人質としてペラに連れて行き、のちに親しい友とした。ユスティヌスによれば、オリュンピアスの結婚はアリュバスが促したもので、これがかえって彼の破滅を招いたという。紀元前360年ごろにイリュリア人が侵入したとき、アリュバスは戦えない住民をアイトリアに避難させ、イリュリア人に思うままに略奪させた。この策は功を奏し、モロシア人はイリュリア人に襲いかかって打ち破ったとされる。

紀元前342年、ピリッポス2世はアリュバスを王位から追い、代わってエピロス王に据えたのは、ネオプトレモス1世の子でピリッポスのもとで教育を受けたアレクサンドロス1世だった。アリュバスは亡命のうちに生涯を終えたともいわれるが、その後の消息は不明である。なお、のちのラミア戦争のとき、マケドニアに服する立場から同盟に加わるふりをして、裏切ってマケドニア側についたとされるモロシア人の王「アリュプタイオス」は、このアリュバスを指す可能性があるともいう。

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