伝記
コーネリアス・ヴァンダービルトは、1794年5月27日に生まれ、1877年1月4日に没したアメリカの実業家である。金ぴか時代を代表する人物で、海運王、鉄道王と呼ばれた。
農家の出身で、9人兄弟の4人目として、ニューヨークのスタテンアイランドのポートリッチモンドに生まれた。11歳で学業を離れ、少年の頃にニューヨーク港で父のフェリーで働き始めた。16歳で自身のフェリー業を始めることを決意し、積荷用の小さな二帆の船を買うために母から100ドルを借りたとされる。ただし、1853年に彼の人生を扱った最初の著作物である『サイエンティフィック・アメリカン』によると、その船は父との共同所有で、利益は折半だった。スタテンアイランドとマンハッタンの間で積荷と乗客を運ぶフェリー業を始めた。1813年12月19日、従妹で隣人のソフィア・ジョンソンと結婚し、最終的に13人の子供を授かったが、うち1人は幼少時に亡くなった。
1817年11月、フェリー業者のトーマス・ギボンズに、ニュージャージー州とニューヨーク州の間を航行する蒸気船の船長になるよう要請され、元の業務を続けながらギボンズとの仕事も兼任した。当時ギボンズは、ニューヨーク州議会がリビングストンとフルトンに認可した蒸気船の専売をめぐって、専売権を保持するアーロン・オグデンと争っていた。ギボンズは彼を破産に追い込むため値下げを仕掛け、これは専売を覆した合衆国最高裁判所の画期的な『ギボンズ対オグデン』の判決につながった。ヴァンダービルトはギボンズの代理で弁護士に会うことが多く、法律にも詳しくなり、弁護士のダニエル・ウェブスターを雇うためワシントンへ行った。1824年3月2日、最高裁はギボンズに有利に判断し、この判決は重要な判例となっている。妻ソフィアは、ニューブランズウィックで宿屋を営んで成功した。
1826年のギボンズの死後、1829年までその息子ウィリアムと共に働いた。このころから事業を本格的に稼動させ、ニューヨークと他の地域の間で路線を拡大した。1831年には兄弟のジェイコブよりピークスキルへの路線を引き継いだ。1834年、ハドソン川のニューヨークとオールバニの間の蒸気船独占に反対して勝訴し、ジャクソン大統領の言葉を借りて自らの路線を「人々の路線」と呼んだ。独占企業が競合をやめるよう多額の金を払ったため、ロングアイランド湾への航行に切り替えた。1830年代後期には湾内の蒸気船業を支配し、鉄道への接続の管理も奪い始めた。1847年にはストニントン鉄道を買収し、多くの鉄道会社の第1社目とした。1838年にスタテン島フェリーを買収し、1830年代にはアメリカ海軍の最高ランクにちなみ「代将」と呼ばれるようになった。
1861年に南北戦争が始まると、最も大きな蒸気船ヴァンダービルト号を北軍海軍に寄付しようとしたが、一度断られ、陸軍省に貸し出した。のちに装甲艦バージニア号への対応で援助を要請され、ヴァンダービルト号を海軍に寄付した。私生活では、後継者にと思っていた末息子ジョージ・ワシントンが、陸軍士官学校を卒業しながら戦争に出ることもなく病気で亡くなり、落ち込んでいた。のちに鉄道ではニューヨーク・アンド・ハーレム鉄道、ハドソン・リバー鉄道、ニューヨーク・セントラル鉄道などを管理した。スタテンアイランドのモラヴィア教会墓地の一族廟に埋葬されている。
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