HISTORICAL PERSON · 紀元前312年没

ヘラクレイデス

古代ギリシアの哲学者で、ポントスのヘラクレイデスとも呼ばれる。プラトンらに学び、プラトン不在の間アカデメイアの運営を任されたとされる。金星と水星が太陽を回ると考え、地動説に近い宇宙観をもったとされる。

生涯
紀元前312年没
死亡地
ギリシャ共和国(アッティキ / アテネ)
出生地
トルコ共和国(ヘラクレア・ポンティカ)
出典
世界地図
ギリシャ共和国(アッティキ)

伝記

ヘラクレイデスは、古代ギリシアの哲学者である。同名の人物と区別するため、ポントスのヘラクレイデスとも呼ばれる。紀元前387年に生まれ、紀元前312年に没したとされる。黒海沿岸のヘラクレア・ポンティカ、現在のトルコのカラデニズ・エレーリにあたる町で、裕福な貴族エウテュプロンの子として生まれた。ポントス王国の富裕な家の出で、父と息子はともにエウテュプロンと呼ばれたという。

父は彼を学問のためにアテナイへ送り出した。ヘラクレイデスはアカデメイアでプラトンとその後継者スペウシッポスに学び、さらにアリストテレスにも学んだとされる。アカデメイアに通ったのは紀元前365年から紀元前339年のことだともいわれる。スーダ辞典によれば、紀元前360年頃にプラトンがシケリア、つまりシチリア島へ向かったとき、アカデメイアの運営をヘラクレイデスに任せたという。紀元前339年にスペウシッポスが没すると、アカデメイアの3代目の会頭の座をクセノクラテスと争ったが、僅差で敗れたとされる。その後はアカデメイアを去り、故郷のヘラクレアに戻って自分の学校を開いたと伝えられる。若い弟子にディオニュシオスという人物がいたらしい。晩年にはピュタゴラス派、キュレネ派、あるいはエピクロス派の教えを受け入れたともいわれる。ヘラクレアで没した。

著作は非常に広い分野に及んだ。『善について』『イデアの種類について』『ヌースについて』『ピュタゴラス派について』『自然について』『天界の現象について』『徳について』『詩と詩人について』『音楽について』のほか、国家論にかかわる『統治について』『法律について』などの題が知られる。ホメロスの寓意的解釈や、ゼノンやデモクリトスに反対する小冊子も書いたとされる。ディオゲネス・ラエルティオスの『ギリシア哲学者列伝』にある著作目録には、哲学や数学などに関するらしい題が並び、そのうちのいくつかは喜劇や悲劇の形式だったという。ただし現存するのは題名と断片だけである。思想の上ではプラトンの弟子でありながらアリストテレス的な面も強く、ピュタゴラス派の教えにも影響を受けた。肉体を離れた魂は星の光からできていて天の川をたどる、というピュタゴラス派の考えを取り上げ、魂を肉体から切り離す立場をとったとされる。一方でピュタゴラス派の菜食主義は退けたとされ、地球以外の天体にも生き物が住むと考えたともいわれる。

天文学の歴史では、地球が中心にあって自らの軸のまわりを西から東へ24時間で一回転しているという説を唱えた人物として知られる。星々の天球は固定されていて、動いているのは地球のほうだとした。さらに金星と水星が太陽から一定の角度以上離れないことを根拠に、この二つの惑星は太陽のまわりを回り、太陽や外側の惑星は地球のまわりを回ると考えたとされる。後のティコ・ブラーエの宇宙像に近いが、これは後世の学者の誤解によるものだとする説もあり、太陽中心説の創始者とする見方にも異論がある。

古代の証言には、名声を求める人物として描くものがある。デモカレスによれば、故郷が自然災害による飢饉に襲われた際、使者に賄賂を贈ってデルフォイの神託を操作させ、ヘラクレイデスに金の冠を贈れと告げさせたという。劇場で神託が公表された後、年老いた彼は劇場を出るときに転んで頭を打ち、それがもとで死んだとされる。細部は信じがたいが、何らかの史実に結びつく核を含むかもしれないといわれる。

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